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大阪高等裁判所 昭和63年(行コ)51号 判決

控訴人ら(控訴人村上淑子及び同中川健二を除く。)及び控訴人ら補助参加人訴訟代理人弁護士

西村陽子

持田明広

田中稔子

加藤清和

被控訴人

中井武兵衛

右訴訟代理人弁護士

菅生浩三

葛原忠知

笹川俊彦

石川正

塚本宏明

宮崎誠

須知雄造

赤木明夫

井上進

大砂裕幸

権藤健一

中村成人

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とし、補助参加によって生じた費用は控訴人ら補助参加人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、箕面市に対し、金四四万九七〇四円及びこれに対する昭和五二年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、箕面市の住民である控訴人らが、箕面市長であった被控訴人に対し、①同市が昭和五一年度予算から箕面市社会福祉協議会を経由して箕面市戦没者遺族会に補助金四四万五〇〇〇円を交付したこと、②昭和五一年四月一日から昭和五二年六月三〇日までの間に、同市福祉事務所の職員に、勤務時間中、同遺族会の書記事務に従事させて、その従事の時間に相当する給与四七〇四円を支給したことが、憲法の政教分離原則に反するなど、違憲・違法であり、被控訴人は同市に損害を与えたと主張して、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づく代位請求訴訟(住民訴訟)によって、損害賠償を求めた事案である。

第三  当事者の主張

次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(略称については、原判決事実欄冒頭の記載を引用する。)。

一  原判決の訂正

1  一二枚目表一〇行目の「宗教施設であることは」の次に、「、その構造、様式によって侵しがたい聖域的雰囲気をかもし出し、神秘性を感じさせること」を、一六枚目裏九行目の「交付」の次に「(支出)」を、一九枚目表五、六行目の「目的としているばかりでなく」の次に「、過去の日本による戦争が無数のアジア諸国民にもたらした被害についての認識を全く持たず」を、二四枚目表六行目の「確認できない。」の次に「箕面地区以外の三地区の支部に対する地区活動費(同一覧表歳出の部の2の(2)ないし(4))の使用状況も同様である。」を加える。

2  二七枚目裏八行目の「故意または過失」から二八枚目表四行目末尾までを「民法の不法行為の規定に従うものであるから、故意又は過失(軽過失)で足りるところ、被控訴人は、市遺族会の活動実態の核心的部分を知悉しており、市遺族会の宗教団体性を基礎づける具体的事実を認識していた。すなわち、被控訴人は、碑前慰霊祭に毎年参列し、その一部始終を見聞してその実態を知悉していたし、市遺族会が護持する本件忠魂碑についても、それが慰霊祭を伴い、その移設に際して脱魂式、入魂式が行われたことなどを認識していた。また、市遺族会が日本遺族会の支部であり、日本遺族会と一体となって英霊顕彰事業を推進していること及びその個々の活動についても、市職員の書記事務従事や補助金関係書類を通じて知悉していた。したがって、被控訴人は、本件各行為の前記各違法性を基礎づける事実をことごとく認識していたから、故意があり、仮に右事実の認識を欠いていたとしても、容易に知りうる立場にあったものであるから、右事実の認識を欠いたことに過失がある。」に改める。

3  二二九枚目裏四行目の「調印がなされ」の次に「、昭和二七年七月には保安隊が発足し」を加え、同五、六行目の「復活した」を「復活し、同年一〇月、日本再軍備及びアメリカの対日援助について、池田・ロバートソン会談が行われ、その中で、『愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長する』ことが確認された」に改め、二三八枚目表末行の「それは」の次に「、戦没者が靖国神社や護国神社に祭神として祀られていることを前提としたうえでの」を、二三九枚目表六行目の「靖国神社国家護持」の前に「『英霊の顕彰』イコール」を、二四五枚目裏九行目の「これら、」の次に「受給者の貧富や困窮の度合とは無関係に」を加える。

4  二四九枚目表一〇行目の「慰霊は」を「慰霊は、宗教である。それは」に改め、二五〇枚目表二行目末尾の次に「右のような無用の混乱を避けるためには、明確な概念規定が必要である。すなわち、『慰霊』には、形式的概念の慰霊と実質的概念の慰霊とがあり、前者は、今日一般に慰霊と呼ばれているものすべてを意味し、文字どおり慰霊という名辞・形式のみを基準とするもので、後者は、超自然的・超人間的存在の確信に基づく宗教行為としての慰霊を指す。さらに、『追悼』にも、広義の追悼と狭義の追悼があり、前者は、宗教性の存するものと存しないものの双方を含めて表現する場合、後者は、宗教性がないとの前提で使用される場合である。結局、本件における『慰霊』の把握は、本件における慰霊そのものを具体的に検討していくほかなく、本件における慰霊とは、わが国における戦没者慰霊であり、市遺族会の行う慰霊である。」を、二五五枚目裏五行目末尾の次に「さらに、例えば戦前の忠魂碑前で行われた招魂祭を描いた『寺庄村郷土讀本』(甲第五〇号証)には、招魂祭に僧侶が参加して読経している光景が描写されており、これをみれば、神道式と仏教式が交互に行われれば宗教色が減殺されるという議論の誤りであることが明らかである。」を、同七行目の「追悼」の次に「(広義)」を、二五六枚目表九行目の「戦没者慰霊祭は」の次に「、言葉本来の意味(実質的概念)での『慰霊』祭として挙行されるときは」を、二五七枚目裏三行目の「骨格」の次に「(社会的結合と宗教的結合が合致する特徴。いわゆる合致的宗教集団の存在)」を加え、二六三枚目表四、五行目の「住民宗教である」を「民俗宗教であり、また、神霊等の超自然的・超人間的存在の確信によって成立している」に改め、同枚目裏六行目の「現代的変容」の次に「・変装」を、二六四枚目裏一〇行目末尾の次に「ここに、宗教の機能が政治的に利用された極限の形態をみることができる。」を加える。

5  二七三枚目表一〇行目の「参拝を」を「参拝の」に改め、二七六枚目表六行目の「許されないのか」の次に「、建設中のものの続行がなぜ許されないのか」を、同一一行目末尾の次に「学校以外の公共の建造物等において、『現存』という一点に限って、『単に忠魂碑であることを示すに止まるもの』が撤去を免れたとする内務省警保局長通達は、敗戦直後の日本社会の疲弊すなわち人手不足、撤去(除去・移転)費用不足との理由に基づくのであって、『模様替え』という次善の策によって、政教分離と軍国主義排除の趣旨を簡易迅速に実現することが認められていた。」を加え、二七七枚目裏六行目の「地方公共団体」の次の「等」を削り、二七八枚目表四行目の「また」の次に「、清瀬一郎文相は、昭和三〇年一二月、紀元節復活の意向を表明し、翌昭和三一年二月には衆議院で、君が代、紀元節、忠魂碑は国民意識育成の中核であると発言した。さらに」を加える。

6  二七八枚目裏九行目の「建立」を「歴史」に改め、同一〇行目から二七九枚目表三行目までを次のように改める。

「旧忠魂碑は、大正五年、日清・日露戦争の戦没者数名の慰霊・顕彰を行うため、分会によって建立された。その後、日中戦争、太平洋戦争を経る中で、旧忠魂碑には、『村の靖国』として、靖国神社の祭神である戦没者が続々と合祀され、二九八柱に及んだ。敗戦後、旧忠魂碑は、撤去・埋土されたが、昭和二六年ころ、何者かによって碑石部分が掘り出され、再建され、その後は市遺族会によって維持・管理されてきた。この間に、碑台石に二九八柱の戦没者名が記載され、靖国神社の神体である霊璽簿を模した『霊璽』が埋蔵された。昭和五〇年には、旧忠魂碑が箕面西小学校前に移設、再建され、現在の本件忠魂碑となった。」

7  三〇四枚目裏三行目の「慰霊祭を」を「慰霊祭は、靖国神社信仰という特定の信仰に基づくもので、到底、使者の追悼一般と同視できるものではなく、仏式行事を付加することによってその宗教性が失われるものではない。これを」に改め、三〇五枚目表三行目の「忠魂碑」の次に「前慰霊祭」を、三一二枚目表一一行目の「戦没者遺族」の次に「の一部」を、三一五枚目表一一、一二行目の「人々だけであり」の次に「、これによって、靖国神社信仰を持つ者だけを優遇し、同信仰を援助、助長、促進する一方」を加え、同枚目裏二行目の「異端化させる」を「異端化させ、圧迫する」に改め、同七行目末尾の次に「そして、宗教とのかかわり合いを持ちながら、そのかかわり合いが世俗性を確保しうるためには、そのかかわり合いの目的である世俗的機能が宗教的機能と分離可能なものであることが必要である。」を加え、三一九枚目表二行目の「持つ」を「持ち、戦没者を英霊=神として祀ることを国民全体に押しつけようとしている」に改め、同五、六行目の「再建であり」の次に、「、市の職員の全面的支援による碑前慰霊祭の挙行であって」を、三二二枚目表九行目末尾の次に「市の市遺族会に対する援助は、このような反憲法的イデオロギーに立脚する靖国神社の教義を積極的に援助する効果を持つものである。」を、三二八枚目裏一一行目の「比較すると」の次に「、前者が助成の有効性を確保することを目的としているのに対し、後者が合法性を確保することを目的とし、監督目的において質的に異なるのみならず」を、三三六枚目表八行目末尾の次に「以上のような理由からみても、日本国憲法の下では、補助金の交付についても法律の根拠が必要であると解すべきである。」を加える。

二  当審における控訴人らの主張

1  市遺族会に対する援助の政教分離原則違反について

(一) 宗教の定義と機能

本件の最大の争点は、市遺族会が憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」、憲法二〇条一項の「宗教団体」に当たるかどうかということであるが、右判断をするためには、「宗教上の組織若しくは団体」ないし「宗教団体」の意味内容が明らかにされなければならず、そのためには、「宗教」を定義しなければならない。「宗教」の定義をしないで、憲法の政教分離原則違反かどうかを論じることはできない。まがりなりにも信教の自由を規定していた明治憲法の下で、政治が宗教を利用した方法は、一方では「神社は宗教に非ず」との詭弁であり、他方で、宗教の機能を各要素に分解し、宗教らしくない外観を作出する「国家神道の倫理的変装・偽装」という手法であった。敗戦後の神道指令により国家と神社神道ないし国家神道との徹底分離及び超国家主義・軍国主義の排除が図られ、日本国憲法における政教分離規定は右の趣旨を継受しているが、日本国憲法の下で、国家神道の再来を防止するためには、「宗教」の定義は、新たな国家神道の形成・実現を防止しうる合目的的なものでなければならない。

そこで、宗教を定義すれば、「宗教」とは、「超自然的存在の確信」の観念からなり、多くの場合、①教義、②儀礼、③施設及び④集団を構成要素としているものと定義される。右のように「超自然的存在の確信」というようなものを基準にして「宗教」を定義することに対しては、宗教の定義として不完全であるとの批判をされることがあるが、この種の定義に対する批判は、このような定義では狭すぎるという批判であって、その逆ではないことに留意すべきであり、この定義に当てはまる現象は当然に「宗教」であることを忘れてはならない。

「宗教」の定義から「超自然的存在」の観念を除外することができないことは、宗教の機能を検討すれば一層明らかになる。宗教の機能には、個人に対し生きる意味を与え、死や病、人生における失敗、罪の苦しみなど、人の努力ではいかんともしがたい問題に心の平安を与えるといった個人に対する救済の機能のほかに、社会の「人心を帰一せしめる」社会統合機能がある。政治と宗教の癒着によって、政治が宗教に期待し、利用しようとする宗教の機能は、社会統合機能である。この社会統合機能は、前記の宗教の四要素のそれぞれが持つ機能(すなわち、①教義は、絶対者の地位、命令を正当化し、価値判断の体系を提供し、未来への方向づけを与える機能。②施設は、超自然的存在の視覚化、潜在意識への働きかけの機能。③儀式は、行動習慣の形成、権威への服従強制、非業の死に対する情動エネルギーの処置、場面の定義を与える機能。④集団は、合致的宗教集団と特殊的宗教集団に分類され、教育・施設・儀式の担い手として宗教に生命を与える機能)が相互に補強し合うことによって、いかんなく発揮される。そして、政治が宗教に期待し利用しようとする宗教の機能は、「超自然的存在の確信」の観念から生じるのである。

ところで、近年、宗教学、文化人類学、社会学等の領域において、「象徴に関する理論」が著しい発展を見せており、宗教を「象徴の体系」と見る学説が有力になっている。これによれば、あらゆる宗教現象は、「内心の信仰的世界を表出する象徴の体系」としてとらえられる。近代人は、宗教に関しては、教義、教理、宗教思想といったものを中心に考えがちであるが、今日の宗教学の理論によれば、これらは宗教的象徴の体系の一部にすぎないのであり、多数の象徴の中で特に中心的なものはなく、いずれの象徴も、単に内心の信仰の世界を表出するのみではなく、これに接する者に信仰を伝達する働きがあるとされている。宗教儀礼も、信仰の世界を表出し、これを象徴的に指し示すものであり、信仰を伝達する機能としても、教義の宣伝のような言語的象徴を用いた活動に比べて消極的であるとか、有効性で劣ってるとかいうことはないのである。したがって、宗教儀礼の宗教的意義を否定すること(津最判参照)は、明らかに誤りである。

また、本件のように、忠魂碑、慰霊祭、市遺族会の宗教性を考察するには、日本人の宗教生活の特徴、すなわち、宗教意識の雑居性(無自覚性)、宗教意識の潜在化(儀礼中心)といったことを正しく理解する必要がある。

(二) 戦後の国家神道

日本遺族会及び市遺族会の宗教団体性の有無を判断するうえで、極めて重要な前提をなすのは、国家神道の歴史、性格、ことに国家神道が戦後消滅したか否かという点であるが、国家神道は、戦後も消滅していない。

国家神道は、天皇を「超自然的存在」とする信念を中心に持つ観念体系としての宗教であり、先に述べた宗教の四つの要素をいずれも備えている。すなわち、

(1) 教義

① 天皇神聖・支配正当の教義

天皇は神の子であり、みずから現人神である。その支配は正当であり、神である天皇が統治する大日本帝国も神聖である。

② 忠節の教義

人は天皇の命ずるところに絶対服従すべきである。

③ 忠魂の教義

戦争は天皇の支配を拡大するものであり、戦死は忠節中の最大のものであるから、天皇によって神とされ(超自然的存在)、靖国神社に祀られ、忠魂・英霊として讃えられる。

(2) 施設(参拝対象・教義を示す物的象徴・儀式空間・布教施設等からなる。)

① 御真影・奉安殿

② 神宮・神社・忠魂碑

a 天皇が神であることを示すもの

b 天皇のために戦死した者を神とするもの

③ 学校

④ 神棚・大麻

(3) 儀式

① 天皇が神であり大祭司であることを確認し、服従を誓う儀式、学校行事、神社参拝を繰り返し行う。

② 天皇のために死んだ者を神とし、あるいは誉め讃え、後に続くことを誓う儀式(招魂祭)

(4) 集団

① 聖職者・神官・学校教師

② 信徒

国民はすべていずれかの神社の氏子となる。氏子地域を持たない靖国神社等の信徒(戦没者遺族)は、崇敬者と呼ばれる。

戦前、神社神道から祭祀の面のみを切り離して、それを国家祭祀として国教化したといわれるのは誤りであり、国教化されたのは、「祭祀」(=儀式)のみでなく、「宗教施設」としての神社、「宗教団体」としての氏子も国家神道の構成要素に組み込まれたのである。戦後、解体されたのは国家神道に対する制度的保障であって、宗教そのものが解体したわけではない。まず、戦前の長い期間にわたって国民の心と文化的伝統を支配してきた国家神道が、敗戦直後のわずか二年余りの短期間に行われた宗教団体法の廃止、宗教法人令の公布施行、神社関係法令の廃止、天皇のいわゆる人間宣言、新憲法の制定という制度改革によって消滅してしまったとみることはできない。宗教思想としての国家神道が今日なお根強く残っている事実は、何よりも靖国神社が存続していることによって明らかであるし、国家神道の構成要素である神社神道は、戦後国家との結びつきを絶たれたものの、宗教として健在である。神社神道は、今日においても、「氏神や産土神をはじめ、天皇・皇族・偉人・義士烈士・戦没者などを神としてまつる施設を中心として、これにともなう祭祠儀礼を含んだ信仰組織」(神道辞典四一七頁)であることに変わりがなく、戦後設立された神社本庁は、その「設立に関する声明」において、「抑々神社尊崇の真義は惟神の大道に遵ひ、人倫の道を明徴にし、神恩に報謝し、祖宗の神徳を奉体し、淳厚且つ忠誠なる我が大和民族の精神気風を作興し、以て……伝統的信仰を顕現高揚するにあり」と、宗教思想として天皇の神性についての確信を維持していることを公言している(前同四〇六〜四〇七頁)。国家神道の宗教思想、とりわけ天皇の神性についての信仰は、右のように、今日もなお侮りがたい勢力によって維持存続させられている。さらに、皇室神道も、天皇家の私的宗教として、戦後も変わりなく維持されている。いわゆる人間宣言をした天皇及びその後継者である天皇が、皇室神道の教義においては依然として神性を有し、祭主として様々の皇室祭祀を行い続けていることは、公知の事実である。最近の新天皇の即位の礼及び大嘗祭をみれば、国家神道の祭祀が再び国家の保障を受けるに至っており、国家神道が今日でもなお健在であることを示している。

(三) 「英霊」の宗教性

「英霊」概念の宗教性について付言すると、日本遺族会にとっての英霊概念の宗教性の核心は、戦没者が天皇に忠義を尽くして戦死したと観念されることにあるのではなく、そのことの故に、靖国神社の祭神として、神として祀られていると信じていることにある。神として祀られるに際して、天皇に忠義を尽くして死んだものと観念されているか、国家に命を捧げたものと観念されているかで、神となった戦没者(英霊)の宗教性に大差はない。したがって、戦後、天皇の神性が消滅したとすることによって、英霊概念の宗教性を否定することはできない。

(四) 憲法八九条前段の解釈

憲法八九条前段は、政教分離を財政面から規定したものであるが、そこで禁止されているものは、「宗教上の組織若しくは団体」(「宗教団体」)の「使用、便益若しくは維持のため」、「公金その他の財産」を「支出し、又はその利用に供」することである。ここで注意すべきことは、同条後段が、事業主体のいかんを問わず、公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業「に対する」公金支出等を禁止しているのに対し、同条前段は、「宗教団体」の使用、便益、維持「のため」の公金支出等を禁止しているのであって、「宗教団体」に対するすべての公金支出等を禁止しているのでもなければ、公金支出のうち直接「宗教団体」に対するもののみを禁止しているのでもないということである。したがって、憲法八九条前段違反の有無を判断するためには、公金支出等がされる直接の対象が「宗教団体」に当たるか否かを判断するだけでは不十分であり、公金支出等の直接の対象のいかんにかかわらず、当該公金支出等が「宗教団体」の使用、便益、維持のためにされたか否かを判断することが必要である。

控訴人らは、「宗教団体」とは、広く宗教に関係する事業若しくは活動そのものをいうと解すべきであると主張し、かつ、市遺族会は「宗教団体」に当たると主張してきた。本件各行為の直接の対象である市遺族会が「宗教団体」である以上、本件各行為は、「宗教団体」である市遺族会の使用、便益、維持のためにされたものと推定される。さらに、本件各行為は、「宗教団体」である市遺族会を維持する目的と効果をもち、そのことによって、同会の行う靖国神社国家護持運動等の日本遺族会の地方支部としての英霊顕彰事業を支える目的と効果を持ち、ひいては、「宗教団体」であることに争いのない靖国神社の宗教の「信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動」を援助、助長する目的と効果を有したことも否定できない。したがって、本件各行為は、憲法八九条前段の規定する「宗教団体」の使用、便益、維持のための公金支出等の禁止に違反するものというべきである。

(五) まとめ

控訴人らが、原審以来主張している政教分離原則違反(憲法八九条前段、二〇条一項違反)の主張をまとめると、次のとおりである。

(1) 日本遺族会が中心的な活動としている英霊顕彰事業は、靖国神社と密接な関係を持ち、同神社の信仰を基盤として展開されており、紛れもなく宗教的活動ないし事業である。日本遺族会と靖国神社との結びつきを歴史的経緯に基づくものでやむをえないこととして、英霊顕彰の宗教性を否定すべきではない。右の英霊顕彰は、御霊信仰から招魂の観念を経て靖国神社に至るという歴史的経緯をたどって成立した「特定の宗教」に基づく活動である。「靖国信仰」とは、「軍人・軍属として戦没し、国家によって忠義の死を遂げたと認定された者(現状では、厚生省の戦没者名簿に基づき、これに準じると靖国神社が判断する者)だけを靖国神社の祭神として、これを英霊・忠魂として慰霊・顕彰する信仰」である。英霊顕彰は、宗教=超自然的存在の確信を中核に据えた活動であり、碑前慰霊祭は、宗教儀式そのものである。これらが「死者に対する自然な感情のレベルのもの」で、「社会倫理」、「社会儀礼」にすぎないというのは誤魔化しである。

(2) 敗戦前の忠魂碑は、単なる戦没者記念碑にとどまらず、靖国信仰を背景とした宗教施設であり、「村の靖国」にほかならなかった。戦後、国家神道は国家と切り離されたものの、その信仰は、神社本庁、日本遺族会の組織に支えられて、今なお根強く残っている。戦後においても、行政、神道学者、神社本庁、靖国神社、日本遺族会では、忠魂碑が宗教施設であるとの認識を持っている。本件忠魂碑は、構造・様式からくる神聖性、移設・再建に当たっての神道儀式による脱魂式・入魂式、霊璽、神式・仏式による碑前慰霊祭、霊魂の観念の存在等の要素を不可分一体のものとして具備しており、宗教施設である。

(3) 日本遺族会は、次のような事実、すなわち、靖国神社の祭祀の趣旨が忠魂を慰めることにあること、宗教法人靖国神社の規則が「本神社を信奉する祭神の遺族」を崇敬者と規定していること、日本遺族会の歴代会長が大体、靖国神社の責任役員に就職してきたこと、日本遺族会の会員資格を有すると考えられる遺族世帯一八五万世帯のうち、同会に加入しているのは一〇四万世帯にとどまること、日本遺族会が最重要の目的・事業としているものは英霊の顕彰であること、「英霊」とは実質的には「忠魂」と同義であり、靖国神社の祭神とほぼ一致すること、「英霊の顕彰」とは、戦没者である肉親が靖国神社の祭神として祀られているとの信仰の下に、靖国神社の国家護持を実現することなどを目指しているものであること、日本遺族会は、「英霊にこたえる会」の中心になって活動していること、以上のような事実からすれば、靖国神社を信奉する同神社の崇敬者(信徒)団体であることは明らかであり、「宗教団体」に当たる。また、同会は、英霊顕彰事業に力を入れることによって、靖国神社の宗教の信仰、礼拝及び普及活動を積極的に行っているから、この点からしても、「宗教団体」に当たる。

(4) 市遺族会は、日本遺族会の一地方支部であり、これと同一の性格を有する団体であり、また、市遺族会としての主要な活動が英霊顕彰事業であるから、「宗教団体」に当たる。

(5) 本件各行為の直接の対象である市遺族会が「宗教団体」である以上、本件各行為は、「宗教団体」である市遺族会の使用、便益、維持のためにされたものと推定される。また、本件各行為は、他の個人や団体が容易に得られない特権であることは明らかである。したがって、本件各行為は、憲法八九条前段、二〇条一項後段に違反する。

(6) 目的効果基準に関する津最判の多数意見が依拠したと思われるアメリカにおける政教分離関係事件の判例で確立されたレモンテスト(目的効果過度のかかわり合いの基準)は、判断基準として有用であるが、津最判多数意見の判断方法、判断要素のとらえ方には問題があり、目的効果基準の適用判断の方法についての範となしがたいので、直接にアメリカの判例理論に範を求めて解釈すべきである。そして、本件各行為について、目的効果過度のかかわり合いの基準を正しく適用すれば、いずれも政教分離原則に違反する。すなわち、右基準では、まず目的が世俗的なものでなければならないところ、被控訴人は、本件各行為の目的を主張立証しない。靖国神社参拝、大阪護国神社の春秋慰霊大祭への参加、碑前慰霊祭等を通じて市遺族会の行う戦没者の慰霊顕彰を支援することは、客観的にみれば、その目的が宗教性を有することを否定できない。効果の点でも、本件各行為は、市遺族会の行う宗教活動を援助、助長し、ひいては靖国神社及びその信仰に対する援助、助長、促進の効果を有する。また、本件各行為は、その招来するであろう波及的効果に照らし、憲法の禁止する宗教との過度のかかわり合いに該当する。

2  本件補助金交付(支出)と憲法八九条後段違反、社会福祉事業法五六条一項違反について

(一) 本件補助金交付と本件補助金支出との関係

控訴人らは、市から市社会福祉協議会に市補助金が交付され、さらに同協議会から市遺族会に本件補助金が配分された手続面について、本件補助金交付の憲法八九条後段違反、社会福祉事業法五六条一項違反等の主張をするとともに、本件補助金が当初から市遺族会への配分を予定されていたという実体的実質的側面に着目して、本件補助金支出の憲法八九条前段、二〇条一項前段、三項違反等の主張をしているところである。控訴人らの右主張は、現実の歴史的事実としては、市から市社会福祉協議会に補助金が交付され、市遺族会に配分されたものであることを前提として、その実質的側面を見ると「市から市遺族会に本補助金が直接交付された」ものと「同視できる」と主張するものであり、歴史的事実としての「市から市遺族会への補助金の直接交付」の存在を主張するものではない。右のとおり、控訴人らの手続面に関する主張と実質面に関する主張とは、両立するものであり、本件補助金が「市から市遺族会に直接交付された」と評価・判断されたとしても、市から市社会福祉協議会への市補助金交付ないし本件補助金交付の手続上の瑕疵の問題を切り捨ててよいことにはならない。

(二) 憲法八九条後段の「慈善、博愛の事業」について

憲法八九条後段の「慈善、博愛の事業」とは、「直接間接を問わず、また政府の他の措置を要求してそれらに働きかけるものであるとか互助的なものであるとかを問わず、一般に認められている慈善、博愛を目的とする事業」をいうと解すべきであり、互助的事業を含むものであり、また、援助の方法も物質的な援助のみならず、精神的な困窮者に対する精神的援助も「慈善、博愛の事業」に当たる。したがって、市遺族会が、互助的な性格を有し、また、戦没者遺族に対する精神的慰藉による援護の活動を行っているということは、市遺族会の活動が「慈善、博愛の事業」に当たらないとする理由にはならない。

さらに、市から市社会福祉協議会への本件補助金を含む市補助金の交付について、憲法八九条後段違反の有無を検討するには、市遺族会の事業が「慈善、博愛の事業」に当たるか否かを判断するだけでは不十分である。市社会福祉協議会が市から補助金の交付を受けてこれを配分した団体は、市遺族会を含む一六団体であり、この中には、母子福祉会、身体障害者福祉会、保護司会、更正保護協会、更正保護婦人会、赤十字奉仕団等のように、社会福祉事業あるいは社会福祉事業に関する連絡を行う事業(社会福祉事業法二条三項七号。これもまた社会福祉事業である。)を営んでいることが明らかなものが含まれており、また、原爆被害者の会、傷痍軍人会のように、疾病、戦禍に苦しむ要福祉者の団体も含まれている。要福祉者の団体や社会福祉事業を営む団体に対して金銭を拠出して、これらの団体や事業を援助する行為は、「慈善、博愛の事業」である。したがって、市社会福祉協議会が市からの補助金をこれらの団体に配分することは、全体として「慈善、博愛の事業」に当たるというべきである。市は、社会福祉協議会に対して「公の支配」を及ばさない限り、これに補助金を交付することはできないところ、既に主張したとおり、社会福祉事業法五六条一項の定める条例の欠缺により同条二項以下の「公の支配」に関する規定が働かない状態でされた市から市社会福祉協議会への補助金交付は、憲法八九条後段が禁止した「公の支配に属しない慈善、博愛の事業」に対する公金の支出に当たる。

3  本件各行為の地方自治法二三二条の二違反について

(一) 遺族援護行政の反公益性

被控訴人は、政府のいわゆる「遺族援護行政」には公益性がある旨主張するが、右「遺族援護行政」のうち「経済面での遺族援護行政」には、以下に述べるとおり公益性がなく、むしろ反公益的である。したがって、日本遺族会の活動の中に政府の「遺族援護行政」を補完するようなものがあったとしても、公益性は否定される。

(1) 敗戦後の日本に様々な変革をもたらした占領軍の日本に対する非軍事化と民主化の政策は、戦後の国際情勢の変化によって大きく転換した。

その間の出来事を列挙すると、次のようなものである。

昭和二二年 三月 トルーマンドクトリン発表

昭和二三年 一月 ロイヤル米陸軍長官、日本を反共の防壁にすると演説

昭和二四年一〇月 中華人民共和国成立

一一月 吉田首相、日本に自衛権ありと答弁

昭和二五年 一月 マッカーサー、憲法は自衛権を否定しないと言明

六月 朝鮮戦争勃発

七月 マッカーサー、警察予備隊創設指令

一一月 A級戦犯仮出所

昭和二六年 八月 旧軍隊将校一万余名追放解除

九月 対日講和条約・日米安全保障条約調印

昭和二七年 四月 右各条約発効、戦傷病者戦没者遺族等援護法公布

七月 保安隊発足

昭和二八年 八月 軍人恩給復活

吉田首相は、昭和二七年八月、保安庁幹部に対する訓示の中で、「再軍備をするとすれば物心両面からの準備が必要で、このためまず敗戦は軍人だけの責任ではなく、国民全体の責任であることを徹底させるとともに、軍人恩給などの復活を図らねばならない。」と述べ、再軍備のためには、軍備だけでは足りず、物心両面からの準備が必要なことを明らかにした。さらに、昭和二八年一〇月の池田・ロバートソン会談後の共同声明では、日本の再軍備実現に対する四つの制約の一つとして、経済的制約を挙げ、旧軍人や遺家族などの保護は防衛努力に先立って行われなければならない問題であり、これはまだ糸口についたばかりであるにもかかわず、大きい費用を必要としていると述べるとともに、日本政府は、教育及び広報によって、日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任を持つとするなど、日本の再軍備のために何が必要かを明らかにしている。昭和二六年九月の「戦没者の葬祭などについて」の通達も、右のような文脈の中で出された。占領軍の意図は、日本を「反共の防壁」とするために再軍備することにあり、そのため、「物心両面」から「日本の空気を助長」する手段の一つとして、すなわち、後の遺族年金、軍人恩給などと同じ目的の下に「戦没者の葬祭」を復活させたものである。右通達が出されたのは、占領軍が所期の目的(日本の非軍事化・民主化)を達成したからではなく、これを否定した政策転換、いわゆる「逆コース」を歩み出したことによるものである。以上のように、「遺族援護行政」とは、「遺族援護」の美名に隠れた「憲法(前文、九条)空洞化行政」あるいは「再軍備準備行政」にほかならないことは明らかである。

(2) 遺族援護法の提案理由には、「戦没者等は、過去における戦争において国に殉じたもの」とあるが、「戦没者等」の中には、戦争あるいは作戦を指導した職業軍人達と強制的に徴募された兵士達という、戦争に対する責任の性質、程度が全く異なる二つの階層が存在する。同じ戦没者遺族でも、無謀な戦争指導あるいは作戦指導を行い、多数のアジアの諸国民を殺害し、兵士達を死に至らせ、多数の国民に戦災死傷による犠牲を払わせた職業軍人の遺族まで国が手厚く処遇することは、当然の責務とはならない。遺族援護法は、一家の主を失って生活に困窮する戦没者遺族を援護する法律として成立したものではなく、そのような援護を隠れみのに、戦争・作戦の指導に責任のある職業軍人等の遺族へも給付を行い、彼らの責任を免除し、軍人恩給復活への橋頭堡を築いたものである。また、日本遺族会の「遺族の処遇改善運動」も、兵士達の遺族を援護する立法を求めたものではなく、旧軍隊時代の階級差を維持し、その階級差に基づき、大将一四万円に対し兵二万六〇〇〇円という極端な差別給付になるような恩給の復活実現に運動の主眼を置いていたというのが実態である。

(二) 市遺族会及び日本遺族会の反公益性

日本遺族会及び市遺族会の活動は、国民主権・基本的人権尊重・平和主義という憲法の根本規範に反する性格(反憲法的性格)を有し、公益に反する性格(反公益的性格)を有するから、本件各行為は、憲法の根本規範に反するものであり、地方自治法二三二条の二の規定する「公益上の必要」を欠く違憲・違法の行為である。右の国民主権主義とは、明治憲法の天皇主権主義を否定して、国のあり方を究極的に決定する権威と力が国民であることを意味する。基本的な人権尊重主義とは、明治憲法における「臣民の権利」保障の生長発展したものではなく、人類の世界史レベルにおける人権獲得のための成果を受け継いだものであること、人権は、国家が国民に付与したものではなく、人間が人間であるという理由だけで生まれながらにして持つところの天賦の人権であり、したがって、「永久の権利」として保持されなければならないこと、現在の国民は、これを将来の国民に伝えていく義務があることなどを意味する。また、平和主義とは、「諸国民との協和による成果……を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意」すること、「平和のうちに生存する権利を有することを確認する」こと、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、この自覚に基づき、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することを意味する。右のような憲法解釈に立って、控訴人らが原審以来主張してきた日本遺族会及び市遺族会の活動についての正しい事実認定をし、さらに、本件忠魂碑に合祀されている二九八人がなぜ死んだかを認定をし(忠魂碑が「天皇に忠義を尽くして死んだ人々を、その忠義の故に特に称え、尊拝する」碑であるとすれば、本件忠魂碑に合祀されている人達がなぜ死んだかを認定することによって、戦死・戦死者の実態と忠魂碑・慰霊祭における評価との乖離が明らかになり、本件忠魂碑の反憲法的性格が容易に認定される。)、最近の自衛隊及びそれを取りまく現状(自衛隊の海外出動の制度を機に整備され始めた殉職者対策、徴兵制度の本格的導入の動き、自衛隊が天皇の軍隊としての性格を強めてきていること等)の認識や危機意識を踏まえれば、日本遺族会及び市遺族会が反憲法的・反公益的性格を有することは明らかである。

4  本件各行為及び本件補助金交付のその他の違法について

(一) 地方公務員法違反について

地方公共団体の処理すべき事務には、本件書記事務のような、私人の団体の事務を代わって行うことは本来含まれず、法律にもこのような便宜供与を許容する規定もないから、市長は市の職員に対し、これを職務として命じることはできず、このような事務に従事させたことは地方公務員法三五条の規定する職務専念義務に違反する。地方自治法二三二条の二は、公益上の必要がある場合に、地方公共団体が寄付又は補助をすることを許容しているだけであって、地方公務員をして他の団体の事務に従事させることまでは許容していない。

(二) 本件補助金使用の違法

被控訴人は、本件補助金交付に当たり、本件補助金が公益外の活動に使用されるおそれがあるかどうかを検討すべきであったのに、これを怠ったか、誤った認定をした違法がある。

5  損害の発生について

被控訴人は、地方自治法二四二条の二第一項四号の請求では、地方公共団体に発生した損害の有無の判断は、実体的にされるべきである旨主張する。しかし、住民訴訟の財務会計活動の客観的適正化の実現という目的からして、手続的な違法から発生した損害についても、四号請求ができるのは当然である。仮に、住民訴訟の目的を財務会計活動による地方公共団体の財産的損害の回復に求める立場をとったとしても、手続的な違法であっても、地方公共団体に損害を与えたことについて、実体的違法の場合と変わりはなく、手続的違法に伴う損害は四号請求の対象にならないとする理由はない。さらに、被控訴人は、仮に本件補助金交付ないし支出の手続に違法があったとしても、市としては結局支出するつもりであったから、損害を生じていない旨主張するが、仮に被控訴人が、当時条例の有無にかかわらず市社会福祉協議会に補助金を支出する意思を有していたとしても、現実に条例は制定されていなかったのであるから、被控訴人としては補助金を支出することができなかったのであるし、また、もし条例が制定されていれば、同額の補助金が支出されたと断定すべき根拠もない。

三  当審における被控訴人の主張

1  本件補助金交付ないし支出の手続について

市から市社会福祉協議会に対する補助金交付と同協議会から各加盟団体に対する補助金配分の審査、決定手続の過程において、市は、市から同協議会に交付した補助金の相当部分が同協議会を通じてその各加盟団体に配分されること及びその配分金額、割合等を知り得る仕組みになっており、本件補助金についても、市補助金七六一万二〇〇〇円のうち三四二万四〇〇〇円については、当初から同協議会の各加盟団体に配分されるものとして、また、そのうち、本件補助金四四万五〇〇〇円については、市遺族会へ配分されるものとして、これを同協議会に交付したものである。以上のように、市社会福祉協議会を通じて間接的に補助金を交付するという形式をとるのは、同協議会に加盟する各受交付団体の意向をできる限り反映させることによって、右各団体に対する補助金の合理的配分を期する目的に出たものである。市社会福祉協議会は、各加盟団体の意向を調整し、補助金を合理的に配分するための手段としての役割を果たしており、実際、具体的な補助金の配分額は、各受交付団体の話合いによって実質的に決定されているということができ、その後、同協議会は、特別のことがない限り、この決定額を変更することなく、いわば市に伝えていただけである。

したがって、本件補助金は、市から市遺族会に直接支出されたとするのが、実態に即した見方である。

2  目的効果論からの本件各行為の検討

(一) 本件補助金支出(交付)について

市遺族会は、被控訴人が原審以来主張してきたとおり、憲法八九条前段にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しないから、本件補助金支出は、同条前段の禁止する公金の支出には当たらない。したがって、いわゆる目的効果論については論ずるまでもないところであるが、ただ、本件においては、箕面地区遺族会が毎年一回神職又は僧侶を招いて本件忠魂碑前で慰霊祭を行っていたという限りで、宗教と全く関係がないとはいえないので、念のため、いわゆる目的効果論による検討を加えることにする。

(1) 本件補助金支出(交付)の趣旨・目的

本件補助金支出ないし交付の目的は、国家行為として行われた戦争に公務として従事し、死亡した戦没者の遺族を援護し、国の物的な面での遺族援護行政を補完する点にあった。また、市から市遺族会に対する補助金の交付は、市遺族会と同じように市社会福祉協議会に加盟し援護をするのが適切と考えられた一六団体(民生委員協議会、母子福祉会、身体障害者福祉会、肢体不自由児(者)父母の会、手をつなぐ親の会、老人クラブ連合会、保護司会、更生保護婦人会、BBS会、赤十字奉仕団、原爆被害者の会、更生保護協会、献血推進協議会、青少年赤十字団、傷痍軍人会及び市遺族会)に対する援助の一部として、これらの団体と平等、公平に行われているものである。

右の点に照らせば、市遺族会への本件補助金交付ないし支出が、遺族援護という世俗的目的のために行われたことは明らかである。

(2) 本件補助金支出(交付)の効果

市遺族会の事業の一部には、本件慰霊祭、靖国神社参拝旅行、護国神社の大祭への参拝、四天王寺の英霊堂での慰霊行事への協賛等、宗教にかかわる活動もないわけではない。その意味では、市遺族会に対する本件補助金支出(交付)は、間接的に、あるいは広い意味では、宗教に関連しているといえなくもない。しかし、市遺族会がこれらの行事を行うのは、その会員が戦没者の遺族であることにかんがみ、右のような戦没者の慰霊、追悼、顕彰行事を行うことが会員の要望に沿うためであって、社会的実在としての人又は団体が社会生活上普通に行う行事の範疇を出ないものであり(例えば、先祖の法要をしたり、会社が物故社員のための法要を営むのと変わらない。)、このような行事を行う人又は団体に対する援助は、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるものではない。

わが国の政教分離規定は、国家が宗教とのかかわりを持つことを全く許さないとするものではなく、そのかかわりが、わが国の社会的・文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えると認められる場合に、これを許さないとするものである。そして、社会的実在としての人ないし団体の活動は、多岐にわたっているのであって、その活動の一部に広い意味で宗教に関連するといえなくもない部分があるとしても、それが、人又は団体が社会生活上普通に行う行事の範疇を出ないものである場合は、これに対して公的な援助をすることは、憲法上当然許されるものである(そうでなければ、先祖の法要を行う家庭に対しては、生活保護もすることができないことになろう。)。

(3) 以上のとおりであるから、本件補助金支出ないし交付は、その目的及び効果の点からみて、特定の宗教に対する援助、助長あるいは他の宗教に対する圧迫、干渉になるものではなく、また、市が過度に宗教にかかわったとも到底いえない。

(二) 本件書記事務従事について

(1) 本件書記事務従事の趣旨及び目的

本件書記事務従事は、社会福祉団体の一つとしての市遺族会に対する福祉及び援護の充実を目的として行われた。すなわち、市遺族会は、他の要保護団体同様、その構成員が国から一定の給付金の支給を受けうる立場にあり、これに伴う諸々の事務処理を補完して給付の手続を円滑にし、もって国の遺族援護行政をより充実させる目的で、本件書記事務従事が行われたものである。なお、本件書記事務従事のうちには、本件慰霊祭や護国神社参拝旅行の通知・案内の文書の作成、発送等の事務も含まれているが、もともと、本件慰霊祭や靖国神社参拝旅行それ自体が、宗教活動あるいはそれを通じての宗教の教義、信仰の普及、拡大を目的とするものではなく、もっぱら戦没者遺族の精神的慰藉を目的とするものであることからすれば、その補助事務である通知、案内等も、戦没者遺族の精神的慰藉の補完を目的としているというべきである。

右のとおり、本件書記事務従事の目的は世俗的である。

(2) 本件書記事務従事の効果

本件書記事務従事のうちには、本件慰霊祭や靖国神社参拝旅行の通知・案内文書の作成、発送等も含まれてはいるが、本件慰霊祭や靖国神社参拝旅行それ自体が、戦没者遺族の精神的慰藉を目的とするものであり、これを通知・案内文書の作成、発送といった形で間接的に援助するからといって、神道、仏教等の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない。

(3) 以上のとおり、本件書記事務従事は、その目的及び効果の点からみて、特定の宗教に対する援助、助長あるいは他の宗教に対する圧迫、干渉になるものではない。

3  本件各行為の地方自治法二三二条の二違反について

控訴人らは、政府の遺族援護行政が反公益的である旨主張し、その理由として、職業軍人の遺族等に対して徴募による兵士等の遺族と同様の公的給付をすることは不当であると主張する。しかし、徴募による兵士も職業軍人も、国の遂行した戦争において、命令により戦地に赴き死傷したことは全く同様であって、両者を一般的に区別する理由はない。控訴人らは、公務扶助料の階級による差別をいうが、戦没者遺族に対する援護の内容については、立法上の裁量に委ねられた問題であって、公務扶助料に階級差があることをもって違法ということはできない。また、控訴人らは、職業軍人をも含めた遺族援護は、再軍備のための準備であり、憲法の空洞化であると主張するが、戦没者遺族に対する援護が、ただちに憲法違反にならないことは明白であり、控訴人らの右主張は失当である。

4  本件書記事務従事の地方公務員法三五条違反について

箕面市では、昭和五一年当時、市民福祉部及び福祉事務所を設置していたが、福祉事務所設置条例施行規則二条二項には、福祉事務所の社会福祉係の分掌する事務として「社会福祉団体に関すること」との規定があり、市は、右分掌事務規定に基づき、市遺族会を含む一四団体を社会福祉団体と位置づけ、これら団体の諸々の事務手続をしていた。本件書記事務従事は、右のとおり、福祉事務所設置条例施行規則二条二項に福祉事務所の社会福祉係の分掌事務として規定されている「社会福祉団体に関すること」に基づき、市福祉事務所の職員が社会福祉団体の一つである市遺族会関係の書記事務に従事したものであり、適法な職務行為としてされたものである。

さらに、市職員の本件書記事務従事は、市遺族会の会員である遺族の福祉の増進と、市遺族会が遺族援護行政の補完的役割を果たしているという見地からされたもので、地方自治法二三二条の二にいう公益性が存する。このような事務が、普通地方公共団体の処理すべき事務に属することは、地方自治法二条の規定に照らして明らかである。また、同法二三二条の二は、「普通地方公共団体は、その公益上必要がある場合においては、寄附又は補助をすることができる。」と規定しているのであって、これを控訴人ら主張のように、補助金もくしはこれと同視できる物品の供与に限る根拠はない。

5  損害の不発生について

本件補助金交付ないし支出は、仮に手続に違法があったとしても軽微なものであるし、実体的には適法なものであり、市には損害が発生していない。地方自治法二四二条の二第一項四号の請求では、地方公共団体に発生した損害の有無の判断は、実体的にされるべきである。本来、補助金交付は、行政の裁量にかかる行為であり、明示の根拠規定を要しないところ、地方自治法二三二条の二は、地方公共団体の補助金交付の権限を明確にした規定であって、「公益上の必要性」の有無は、行政の合理的な裁量にかかっているものと解される。市が市遺族会に本件補助金を交付した決定は、合理的な裁量の範囲内にあったから、仮に本件補助金交付ないし支出の手続に違法があったとしても、市にとっては、結局は支出するつもりであった金銭であり、そうである以上、手続上の瑕疵があったからといって市に損害が生じたとすることはできない。

第四  証拠

証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

以下の理由説示(ただし、原判決の記載を引用した部分を除く。)中、書証の成立(写しについては原本の存在を含む。)については、争いのあるものは、いずれも弁論の全趣旨によってこれを認めたので、各書証の成立についての争いの有無及び成立の真正を認定した理由の記載を省略した(なお、原判決の理由の記載を引用した部分については、書証の成立について争いのないものは、その旨の記載が省略され、争いのあるものは、その成立の認定に供した証拠が括弧内に表示されている。)。

一  本件訴えの適法性

当裁判所も、控訴人村上淑子及び同中川健二の本件訴えは不適法であり、却下すべきものと判断する。本件訴えの適法性についての判断の理由は、原判決三八枚目表九行目から四〇枚目表四行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

二  被控訴人及び市遺族会

被控訴人が、本件補助金交付(支出)及び本件書記事務従事がされた当時、箕面市長であったこと、市遺族会が、箕面市内に居住する戦没者遺族を会員として組織された団体であり、市の区域を箕面、萱野、豊川及び止々呂美の四地区に分けて、各地区ごとに支部を設置していることは、当事者間に争いがない。

三  市補助金交付・本件補助金配分と本件書記事務従事の存在及びその事実関係

1(一)  市補助金交付・本件補助金配分の存在とその事実関係、(二)本件書記事務従事の存在とその事実関係についての当裁判所の認定は、次のとおり補正するほかは、原判決四〇枚目裏二行目から四九枚目表二行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

四〇枚目裏一二行目冒頭に「甲第一五号証、」を、四一枚目表一行目の「第九一号証の一、二」の次に「、第一一一号証」を加え、四一枚目裏八行目の「什器・備品目録」を「財産目録、同備品・什器明細表」に、四三枚目表五行目の「一、二」を「一ないし三」に改め、同六行目の「全趣旨)」の次に「、第七六号証の一、二」を、同行の「第九〇号証の三」の次に「、二四」を加え、同行の「、第一〇八」を削り、同七行目の「第一〇九」の次に「、第一一一」を四七枚目表五、六行目の「乙第九号証」の次に「、第一〇号証」を加える。

2  本件補助金交付と本件補助金支出の関係について

右1の事実によれば、本件補助金は、市が昭和五一年度一般会計予算から市社会福祉協議会に交付した補助金七六一万二〇〇〇円(市補助金交付)のうち、市社会福祉協議会から市遺族会に配分された(本件補助金配分)四四万五〇〇〇円の補助金であるところ、控訴人らは、本件補助金が市補助金交付・本件補助金配分という流れによって市遺族会に配分された手続的側面に着目して、市から市社会福祉協議会に補助金が交付された手続に関して、社会福祉事業法五六条一項に定める条例の欠缺による違法の主張、憲法八九条後段違反の主張、市補助金交付規則違反の主張等をするとともに、本件補助金が、実質的には市の支出当初から市遺族会への配分が予定されていたという実質的・実体的側面に着目して、市から市遺族会に直接交付されたものと同視しうるとして、その実質的な法律関係(本件補助金支出)に関して憲法二〇条一項、三項、八九条前段、後段違反、地方自治法二三二条の二違反等の主張をしている。右のとおり、控訴人らの主張は、本件補助金の交付・配分についての形式的・手続的側面に着目した違法事由の主張と、実質的・実体的側面に着目した違法事由の主張とが並立しているところ、これらは、補助金の支出・配分についての観点を異にするものではあるが、一方の主張をすれば他方の主張を提出することが論理的に成り立たないという性質のものではない。本件補助金が、現実には箕面市から市社会福祉協議会に交付され、さらに同協議会から市遺族会に配分されたものであることは前示のとおりであるから、市から市社会福祉協議会への補助金の交付についての手続に関する控訴人らの主張を判断する必要がある。また、前記認定の事実関係によれば、市補助金のうち本件補助金配分に相当する部分は、手続的・形式的には、市からいったん市社会福祉協議会に交付され、同協議会から市遺族会に配分されたものではあるが、当初から、市において、市遺族会へ配分されることを予定して支出されたものであり、市が補助金交付につき受交付団体との中間に市社会福祉協議会を介在させたのは、単に、市が一定の総額を定めて予算化する補助金を各種団体に対して合理的に配分するための手段とする趣旨に出たものと認められるから、実質的側面に着目すれば、本件補助金は市から市遺族会に直接交付されたものと同視できないものでもない。そして、本件訴訟における控訴人らの主張・立証の中心が市遺族会の宗教団体性等、憲法の政教分離原則違反に関するものであることにかんがみると、右の実質的側面を重視する観点に立って、本件補助金が市遺族会に直接交付されたものと同視できるとの前提の下に、控訴人らの主張を検討する必要があるものと認めるのが相当である。したがって、本件補助金の交付・配分に関する法律関係については、形式的側面と実質的側面の双方から控訴人らの主張を検討することとする。

四  本件各行為の政教分離原則違反の主張について

1  日本遺族会及び市遺族会について

(一)  日本遺族会と市遺族会との関係、(二)日本遺族会の性格、活動状況等、(三)市遺族会の性格、活動状況等(本件忠魂碑の歴史と現況を含む。)についての当裁判所の認定は、次のとおり補正するほかは、原判決五二枚目裏末行から九〇枚目表五行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 五三枚目表六行目の「第八二号証」の次に「、第九八号証」を加え、同行の「の証言」を「、同浦野匡彦の各証言並びに弁論の全趣旨」に改め、五四枚目裏一二、一三行目の「その結果を」の次に「昭和三七年に」を加える。

(2) 五七枚目表四行目の「乙第八〇」を「乙第八号証、第八〇」に改め、同六行目の「第九八号証」の次に「、第一〇一号証」を加え、六一枚目表二行目の「乙第九六」を「乙第八一号証、第九六号証」に改め、六三枚目表六行目の「各証言」の次に「及び弁論の全趣旨」を、六五枚目表一行目の「戦跡」の次に「慰霊」を、六八枚目裏六行目の「第四九二号証の一」の次に「、三」を加え、同行の「乙第八一」を「乙第八一号証、第九三号証の一五、一八の各一」に改め、同七行目の「第九八号証」の次に「及び弁論の全趣旨」を加え、七一枚目表五行目末尾の「前記」を「後記」に改める。

(3) 七四枚目裏八、九行目の「当事者間に争いがなく」を「前示のとおりであり」に、同九行目の「甲第七〇号証」を「甲第六〇号証、乙第五六号証」に、七八枚目裏九、一〇行目の「雑費が、二万五〇九〇円」を「神社仏閣参拝費が三六万九二四二円、雑費が二万五〇九〇円」に改め、同一一行目の「三万五〇九〇円」の前に「神社仏閣参拝費として靖国神社参拝等に七万九七八二円、秋季バス慰安旅行に二七万九四六〇円(合計三五万九二四二円)、雑費が」を、同一一、一二行目の「認められる。」の次に「また、右決算報告書及び右一覧表の被控訴人主張欄には、歳入のうち市社会福祉協議会からの補助金五万円及び歳出のうち青年部靖国神社参拝研修費が計上されていない。」を加え、八一枚目裏九、一〇行目の括弧書きの記載を削る。

(4) 八二枚目表五行目の「(原本)」の次に「、第六六号証、第七〇号証、第七四号証、第七九号証、第一〇二号証の一、二」を、同七行目の「第三六号証」の次に「、第四五号証、第四六号証の一、二」を加え、同一一行目の「、西南戦争」を削り、八三枚目裏六行目の「合意をし」の次に「、一方で、旧忠魂碑を移設するための代替敷地を確保するため、昭和五〇年七月一〇日付で箕面市土地開発公社から本件土地を買い受け、引渡しを受け」を、同七、八行目の「(本件忠魂碑)。」の次に「その後、箕面市長は、同市の監査委員から、速やかに本件忠魂碑の権利者を確定したうえ、本件土地のうちの本件忠魂碑の敷地部分の貸与に必要な箕面市議会の議決を求めるよう処置すべきである旨の勧告を受けたことから、市は、大阪地方裁判所に対し、民法七五条の規定により、分会清算人の専任を請求した。そして、同地裁が選任した分会清算人は、市と市遺族会との間の前記合意を追認し、昭和五一年三月八日、市、市遺族会及び同清算人の三者間で、①分会は、市遺族会に対し、右敷地の使用借権を譲渡し、同敷地の所有権者である市は、箕面市議会の議決を得ることを条件として、市遺族会による右敷地の無償使用を承認する、②分会は、市遺族会に対し、右箕面市議会の議決を条件として本件忠魂碑を贈与する、③市遺族会は、本件忠魂碑を戦没者慰霊の目的に供することを約する、との合意が成立した。箕面市議会は、同年三月一二日、地方自治法九六条一項六号の規定に基づき、市が市遺族会に対し右敷地部分を無償で貸し付けることを可決した。」を加え、同一一行目の「神官」を「神職」に改め、八四枚目裏三行目の「(弁論の全趣旨)」の次に「、昭和五〇年一〇月一〇日に本件忠魂碑を撮影した写真である検甲第七二号証(弁論の全趣旨)、昭和五五年九月一九日に本件忠魂碑を撮影した写真である検甲第七三号証(同)」を加え、八五枚目表一〇行目、同枚目裏一行目及び二行目の「霊爾」を「霊璽」に改め、同枚目表一一行目の「移記し」の次に「(ただし、右丸杉板には「戦没者霊爾」の文字が記されている。)」を加え、同枚目裏四行目の「浪花の塔」を「なにわの塔」に改め、八七枚目表一一行目末尾の次に「甲第六二号証中には、戦前の旧忠魂碑前での慰霊祭は、敗戦まで中断されずに行われていたとの供述記載があるが、右は伝聞にかかるものであり、乙第四号証と対比して採用できない。」を加える。

2  靖国神社の起源と歴史、国家神道、忠魂碑の歴史及び靖国神社との関係等

控訴人らは、日本遺族会及びその一地方支部である市遺族会は、靖国神社を信奉する同神社の崇敬者(信徒)団体である旨主張し、その根拠として、日本遺族会の英霊顕彰事業は、御霊信仰から招魂の観念を経て靖国信仰に至るという歴史的経緯をたどって成立した「特定の宗教」である靖国神社の信仰を基盤として展開されているものであり、「英霊」とは実質的に「忠魂」とほぼ同義であって、靖国神社の祭神とほぼ一致し、「英霊の顕彰」とは、戦没者である肉親が靖国神社の祭神として祀られているとの信仰の下に、靖国神社の国家護持を実現することなどを目指すものであること、敗戦前の忠魂碑は、単なる戦没者記念碑にとどまらず、靖国信仰を背景とした宗教施設であり、「村の靖国」にほかならなかったところ、戦後、国家神道は国家と切り離されたものの、その信仰は神社本庁、日本遺族会の組織に支えられて今なお根強く残っており、現在市遺族会が管理している本件忠魂碑も宗教施設とみるべきであること、本件忠魂碑前で行われる慰霊祭は、靖国神社の祭祀と同質同根の、同神社の教義に基づく宗教儀礼であるなどと主張するので、これらの主張にかんがみ、靖国神社の起源と歴史、国家神道、忠魂碑の歴史及び靖国神社との関係等について、検討する。

(一)  靖国神社の起源と歴史及び国家神道

甲第五四号証、第五八号証、第八五号証、第九八号証の一、二、第一〇三号証、第一〇八ないし第一一〇号証、第一一二号証、第一三三ないし一三五号証、第一四九号証、第一六八、一六九号証、第二二九号証、第二四九号証、第二五六号証、第三三八号証、第三四二号証、第三五八号証、第四四八号証、第四五二号証、第四六〇号証、第四六二号証、第四六九号証、第四八七号証、第四九三号証、第五三五号証、第五五九号証、乙第一〇二号証、第一二二号証及び弁論の全趣旨にわが国の歴史上公知の事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 靖国神社の前身は、東京招魂社であるところ、招魂社とは、文久二年(一八六二年)に、京都にいた志士の有志が京都東山の霊明舎(吉田流の神葬祭で葬祭、霊祭を行う葬祭施設)で、安政五年(一八五八年)以来国事に倒れた尊攘派の志士のために慰霊祭を行い、さらに翌文久三年に京都祇園社内に小祠を建て、招魂祭を執行するなどしていたのが、その起源とされ、長州藩その他の倒幕諸藩でも、各地に招魂場を設置するなどして招魂慰霊を行っていた。なお、「招魂」とは、もともと天に在る霊魂を一時的に招き降ろして祭る祭儀を指す言葉である。その後、明治元年に出された「癸丑以来殉難者ノ霊ヲ京都東山ニ祭祀スル件」(右の「癸丑」は、嘉永六年=一八五三年すなわちペリーが浦賀に来航した年である。)、「伏見戦争以後戦死者ノ霊ヲ京都東山ニ祭祀スル件」という太政官布告に基づき、各藩でも招魂社を設立するようになり、その数は明治九年ころまでに一〇五に達した(これが後に護国神社となる。)。右布告には、祭祀の趣旨が「忠魂」を慰めることにある旨の「其志操ヲ天下ニ表ハシ其忠魂ヲ被慰度今般東山ノ佳域ニ祠宇ヲ設ケ」云々の記載があり、招魂社の創立の趣旨が、天皇への忠誠を尽くして死んだ者を祀ることにあることが明らかにされている。一方、明治元年、江戸城に入城した有栖川宮熾仁親王は、東征中各所で戦没した将士のため招魂祭を行うべき旨の沙汰を出すとともに、その人数の調査を命じ、戊辰戦争での官軍戦没者に対する招魂祭が江戸城内で神道式により行われ、次いで京都でも行われた。翌明治二年東京遷都が行われ、戊辰戦争の官軍戦没者を合祀するための全国的規模の招魂社である東京招魂社が九段坂上に創建され、三五八八名の戦没者を合祀する招魂祭が挙行された。また、明治七年、各地の招魂場(招魂社)は官費で維持されることになり、明治八年には、従来京都東山をはじめ各地の招魂社に祀られてきた嘉永六年以来の国事殉難者が東京招魂社に合祀されたことに伴い、各地の招魂場は、名称を招魂社と統一されて、内務省の管下に置かれた。他方、東京招魂社は、明治一二年、靖国神社と改称され、別格官幤社に列せられ、内務省、陸軍省及び海軍省(明治二〇年からは陸軍省及び海軍省)によって維持され、以来、西南戦争、日清・日露戦争等の全戦没者の霊を祭神として合祀してきた。東京招魂社から靖国神社への改称に際しての「社号改称、社格制定ノ御祭文」では、「汝命等ノ赤キ直キ真心ヲ以テ家ヲ忘レ身ヲ躑テ各モ死亡ニシ其大キ高キ勲功ニ依テシ大皇国ヲバ安国ト知食ス事ゾト思食スガ故ニ靖国神社ト改称エ」とされ、靖国神社発足の趣旨が、国家のための殉難者の慰霊と勲功顕彰及びその霊力による護国の期待にあることが明らかにされている(なお、「靖国」とは「安国」と同義である。)。

(2) 一方、明治元年、新政府は、天皇親政の維新政権による国民支配の正統性を根拠づけるために、祭政一致を布告し、神祇官を再興して全国の神社を統轄するとともに、神仏判然令等によって神仏分離を命じ、神社から仏教的要素の一掃を図った。これを契機に、全国に廃仏毀釈の運動が広まり、仏教に打撃を与えた。政府は、神道を仏教の上に置いて神道の国教化を図るとともに、キリスト教に対しても禁圧政策をとった。明治三年には、大教宣布の詔によって惟神(かんながら)の道が宣布され、政府は、天皇崇拝中心の神道教義を組織的に布教し、全国民の宗教を統一することを目指して、国民教化に乗り出し、明治四年、全社寺領を官収し、全神社を官社(官幤社、国幤社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、皇祖神を祀る伊勢神宮を頂点とする体系が整えられた。その後、神祇官の神祇省への格下げ、神祇省の廃止と教部省の新設を経て、明治五年、教部省は、教導職に対し三条の教則(第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事、第二条、天理人道ヲ明ニスヘキ事、第三条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事)を達し、神道、仏教、民間宗教をあげて、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする宗教的政治思想の基本を示した三条の教則に基づく国民教化を実施しようとした。右国民教化運動は、仏教側からの執拗な抵抗等によってその後解体し、神道界の論争もあって神道国教化政策は変遷を重ねたが、神社神道を国家の祭祀として一般宗教から分離し、国家宗教としての特権的地位を確保しようという神道界の支配的動向に応えて、政府は、明治一五年に、神官の教導職兼補を廃し、神官は葬儀に関与しないこととし、神社神道を一般の宗教から切り離して祭祀のみに専念させることにした。こうして、祭祀と宗教との分離によって宗教ではないという建前の国家神道が、教派神道、仏教、キリスト教の上に君臨するという国家神道の体制が形成されていった。明治二二年に発布された大日本帝国憲法では天皇の神聖不可侵性が規定され、また、明治二三年に発布された教育勅語では、天皇への忠誠と祖先崇拝とが結合され、国家神道に基づく教育理念が宣明され、以後、教育勅語が事実上国家神道の教典としての機能を果たすことになった。国家神道の教義は、記紀神話を根拠として大日本帝国の神聖性を主張する国体の教義にほかならなかった。また、国家神道は、天皇が祭祀大権を持って、みずからの祭祀によって皇祖神と一体化して現人神として神徳を示すものとされる祭祀儀礼を中心とする宗教であり、宮中祭祀及び神社祭祀が整備されていった。大日本帝国憲法は、その二八条で、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」として、制限つきの信教の自由を認めていたが、神社は宗教ではないという建前の下での、国家神道の枠内での自由であり、神社崇拝の受容を前提とするものであって、神社を崇奉敬戴すべきは国民の義務とされていた。右のとおり、同憲法の下での信教の自由は極めて不完全なものであり、一部の宗教団体に対しては厳しい迫害が加えられた。さらに、明治三九年法律第二四号「官国幤社経費ニ関スル法律」により、官国幤社の経費を国庫の負担とすることが、また、同年勅令第九六号「府県社以下神社ノ神饌幤帛料供進ニ関スル件」により、府県社以下の神社の神饌帛料を地方公共団体の負担とすることが定められ、ここに神社は国又は地方公共団体と財政的にも完全に結びつくに至った。このようにして、国家神道は、近代天皇制国家の事実上の国教制度として、国家体制を支えていったが、特に、日本が軍国主義・超国家主義の道を歩むようになってからは、「八紘一宇」の思想の主張などにより、戦争遂行の精神的支柱の役割を果たすことになった。

(3) 国家神道の下で、政府は多数の神社を創建したが、その一つである靖国神社は、前記のとおり別格官幤社の社格を与えられ、国家神道の重要な一支柱として位置づけられ、陸・海軍省の所管の下に度重なる戦争ごとに戦没者を合祀して発展していき、軍と密接な関係を有する存在であった。靖国神社の祭祀は、春秋の例大祭と、新祭神合祀のための臨時大祭を中心とし、社殿に、神体の鏡、剣とともに、副神体として合祀者の氏名を記した霊璽簿が置かれた。靖国神社は、天皇に忠節を尽くして死んだ戦没者を護国の英霊として祀り、天皇あるいはその勅使が参拝するという抜きんでた栄誉を与えられていた。靖国神社の祭祀は、非業の死を遂げた者の霊を神として祀り、その霊威を鎮めるという古来からの御霊信仰を受け継ぐものであった(もっとも、かつては戦乱に倒れた者は敵味方の区別なく供養し、その霊を鎮めるという伝統があったが、靖国神社の原理は、天皇の側の死者のみを手厚く弔祭するという改変がされていた。)。靖国神社での合祀の式次第は、祭典の前に修祓式(清はらい)があり、次いで招魂式(戦没者の霊魂を靖国神社の境内に招き降ろし、霊璽簿と呼ばれる戦没者名簿に乗り移らせる儀式)があり、その後、霊璽奉安祭(霊が乗り移った霊璽簿を御羽車で移動し、本殿に奉遷し、内陣に奉安する儀式)を行い、翌日、天皇の勅使あるいは天皇みずから参拝し、神前に祭文を奉上する儀式が行われ、戦没者の霊ははじめて祭神とされ、既に祀られている祭神とともに合祀されて手続が終了し、その翌日から臨時大祭が行われるというものであった。一方、東京招魂社が靖国神社に改称された後、各地の招魂社は内務省神社局の管轄下に置かれ、受持神官が祭祀その他一切の業務を取り扱うことになり、明治三四年には官祭招魂社と私祭招魂社の別が定められたが、明治三七年の日露開戦による国防意識の高まりと遺族の急増によって、戦争中から戦後にかけて各地において招魂社の創建(及び忠魂碑等の建立)の動きが活発となった。これに対し、政府は、明治四〇年、内務省神社局長依命内牒「招魂社創建ニ関スル件」をもって招魂社設置基準を定め、かつ、その祭神は靖国神社合祀の者に限る等の制限を加えた。その後、昭和六年に勃発した満州事変、昭和一二年に始まる日中戦争等により戦没者は急増し、靖国神社の合祀者数も増えていったが、戦没者の霊を広く郷土に祀りたいという国民の要望も根強く、政府は、昭和一四年、神社局長通牒「招魂社ノ設立ニ関スル件」をもって、官祭・私祭の招魂社をすべて護国神社とし、二、三の例外を除き、各都道府県に一社に限ってこれを指定護国神社として、創立を認可することとし、府県社に相当する社格を与え、原則として、所在する府県に関係する靖国神社の祭神を合祀するものとした。こうして、護国神社は、所管は異なるものの、事実上靖国神社の地方分社としての性格を有するものになった。

(4) ところで、靖国神社への戦没者の合祀が一般化するに伴い、戦没者の霊を「英霊」と呼称することも次第に一般化していった。「英霊」という言葉は、もともと霊魂の美称であるが、幕末に水戸藩の藤田東湖が、「文天祥の正気の歌に和す」と題する漢詩で、「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」と歌い、この漢詩が志士の間で愛唱されて以来用いられるようになったものである。そして、明治四四年、当時の靖国神社宮司であった加茂百樹が「靖国神社誌」を刊行した際、その序文で、靖国神社の祭神が「英霊」と呼ばれていることなどからすると、明治末期には、「英霊」の語が戦没者の霊の呼称として一般化していたと考えられる。なお、「英霊」とは、国すなわち天皇のために戦って死んだ者の魂ということであって、実質的に「忠魂」と同義であり、靖国神社の祭神ともほぼ一致するものであるが、そのような言葉が次第に一般化し、広く使われるようになったのは、天皇への忠誠が日本国民にとって当然の行為であるとする天皇制教育が浸透するとともに、戦没者個々の忠誠に力点を置いた「忠魂」という言葉よりも、より個性の薄い抽象的な美称である「英霊」という語が適当とされたことによるのではないかと推測される。

(5) 以上の国家神道及び靖国神社の状況は、昭和二〇年八月一五日の敗戦に至るまで続くが、敗戦後は当然に変化を余儀なくされることになった。日本が受諾したポツダム宣言の一〇項では、日本における信教の自由の確立が要求されていたが、連合国軍総司令部は、同年一〇月、「政治的、民事的及宗教的自由ニ対スル制限ノ撤廃ニ関スル覚書」を発して、信教の自由の確立や治安維持法、宗教団体法等の弾圧統制法規の撤廃等を指示し、さらに同年一二月一五日には、「国家指定の宗教ないし祭式に対する信仰の強制から国民を解放するため、戦争に導き悲惨な状態を招来したイデオロギーに対する強制的財政援助から生ずる国民の経済的負担を除去するため、神道を歪曲して国民を欺き侵略戦争に誘導するために意図された軍国主義、過激な国家主義的宣伝に利用することが再び起こることを防止するため、再教育によって国民生活を更新し、平和と民主主義の理想に基礎を置く新日本建設に資するため」等の目的で、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という覚書、いわゆる神道指令を発した。同指令は、国家と神社神道を含むあらゆる宗教との完全な分離によって国家神道の完全な解体を目指したものであり、神社を宗教と認めて、これを国家から分離するとともに、国家から分離された神社を宗教として信仰することは国民の自由とした。同指令は、国家と神社神道との分離の具体的な方策として、神社神道に対する国家・官公吏の特別な保護監督の停止、公の財産的援助の停止、神祇院の廃止、神道的性格を持つ官公立学校の廃止、一般公立学校における神道的教育の廃止、教科書からの神道的教材の削除、学校、役場等からの神棚等の神道的施設の除去、官公吏・一般国民が神道的行事に参加しない自由、役人の資格での神社参拝の廃止、さらに、日本が神国であるとの観念に立つ用語の使用禁止等の具体的な措置を明示していた。右神道指令に基づき、同月二八日、宗教団体法が廃止され、それに代わって緊急勅令で宗教法人令が公布施行された。翌昭和二一年一月一日、昭和天皇は、年頭の詔書を出し、その中で、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。」(人間宣言)として、みずから自己の神性を否定した。また、同年二月二日、神祇院官制を始めすべての神社関係法令が廃止され、同年一一月三日には、象徴天皇制、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義をうたった日本国憲法が公布された。このようにして、国家神道制度は解体し、皇室神道も公的性格を喪失し、宮中祭祀は天皇の私的行為となった。神祀院廃止の翌日である同年二月三日、民間の宗教団体として神社本庁が設立され、全国の神社の大半は、順次、包括宗教法人である神社本庁に帰属し、神祀院の管轄下にあった各護国神社も、届出を行って宗教法人となり、神社本庁に帰属していった。その中で、靖国神社は、第一と、第二復員省(旧陸軍省及び海軍省の事務を引き継いだ。)の管轄下にあったという特殊性もあり、神社本庁には所属せず、東京都の単立宗教法人になった。なお、敗戦後の昭和二〇年一一月、靖国神社では、第二次世界大戦での戦没者を特定しない形で一括合祀を行い、また、翌昭和二一年四月、宗教法人となった最初の霊璽奉安祭を行ったが、同年秋に予定していた霊璽奉安祭は、総司令部によって禁止され、その後、昭和二七年の講和条約発効までは合祀の祭典を挙行することは不可能となった。しかし、その間も、靖国神社では、右各省及び宮内庁の支援を受けて、先に一括合祀した戦没者の個別の合祀手続を進めていた。

(6) その後、昭和二七年一月の宗教法人令の廃止と宗教法人法の施行に伴い、靖国神社は、同年九月、単立の宗教法人となったが、右法人の規則(同年九月制定)三条によれば、「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他信者の目的を達するための業務を行うことを目的とする。」とされた。右のとおり、国事殉難者をもって祭神されているが、戦後も現実の合祀者の選定基準は、戦前のそれと基本的に変わらない。すなわち、軍人、軍属、準軍属の戦死者、戦傷死者、戦病死者等のほか、軍の要請に基づいて戦闘に参加し、当該戦闘に基づく負傷又は疾病により死亡した者や、国家総動員法に基づく徴用又は協力中の死没者、さらに船舶運営会の運航する船舶の乗務員の死者等であるが、いずれも、直接、間接に積極的に戦争において戦い、それに協力した者であり、単なる戦争被災者等は含まれていない。靖国神社が宗教法人となって以後は、合祀者の決定は同神社の宮司が行っている。なお、自衛隊発足後は、その訓練中の公務死者等も合祀の対象になっているようである。これら戦没者を合祀する合祀祭の式次第も、天皇の臨席等を除けば、戦前の祭式と基本的に同一である。

(7) 靖国神社は、前記のとおり、戦後、単立の宗教法人となり、国家との関係を絶たれたが、国民の間には、国家の要請により、国家のために一命を捧げた戦没者の霊を国家が公的に祀るべきであるという意見を持つ者もかなりあり、靖国神社の国家護持や内閣総理大臣・閣僚等の公式参拝を求める動きとなっている。それらの者の中には、靖国神社は宗教ではないという考えをとっている者もいる。そして、日本遺族会及び「英霊にこたえる会」が靖国神社国家護持運動や公式参拝を求める運動に長年積極的に取り組んできたことは、前記四の1で認定したとおりである。右のような動きに対しては、戦前の靖国神社が国家神道や軍国主義との結びつきで果たした歴史的経緯の記憶から、国家神道の復活につながるおそれがあるとの危惧の念を抱く者がいることも否定できないところである。しかし、日本遺族会が、右のような英霊顕彰事業に取り組んでいることは、国家のために命を捧げた者に対して国のかかわりと責任を明らかにする趣旨から、国家の手で英霊として祀られ、それを通じて広く生き残った全国民に感謝を捧げられてしかるべきであるという、精神的慰藉を求める趣旨であり、その場所として、戦前から戦没者を合祀してきた靖国神社が最もふさわしいと考えられたからにほかならない。英霊顕彰事業の主要な内容である靖国神社国家護持の推進や靖国神社への参拝等は、戦没者の霊が祭神として靖国神社に祀られていることを前提とするものであるから、英霊顕彰事業自体、靖国神社の教義や祭祀と結びついた宗教的意義を帯びる面のあることは否定できないが、だからといって、右運動が同神社の信仰、礼拝又は普及等を行うことを本来の目的とするものであるとは解されない。

(二)  忠魂碑の歴史及び靖国神社との関係

甲第二二号証の一、二、第五〇号証、第五八号証、第六四号証、第八五号証、第一〇五号証の一、二、第一〇七号証、第一一〇、一一一号証、第一六九号、第三四一号証、三四二号証、第三六七号証、第五一七号証、乙第五、六号証、第八号証、第一七号証の一、二、第八八号証、第一〇二、一〇三号証、第一二五証の一ないし七、第一二六号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 忠魂碑の起源は、幕末明治維新期における国事殉難者の慰霊のため建てられた招魂社、招魂墓碑に遡るが、これらの碑は、前記の招魂社、招魂場の建立と密接に結びついており、これらの碑の前では招魂祭が行われることが多かったようである。なお、「忠魂」という名辞は、前記のとおり、幕末の国事殉難者を京都東山に祭祀するために発せられた明治元年の太政官布告中において、殉国の将士と王事に尽くした者に対して「忠魂」をもって呼称したのが始めである。ただし、「忠魂」という語自体は、それ以前から和漢の文献に現れているし、一般には、「忠義を尽くす精神、忠義の心、忠義にこり固まった魂」、「忠義のために死んだ人の魂」というような意味であるが、昭和一〇年に靖国神社社務所が編集・発行(陸・海軍大臣官房監修)した「靖国神社忠魂史第一巻」中には、明治天皇の「忠魂を慰むるために神社を建てて永く祭祀せしむ、益々忠節を抽んでよ。」との趣旨を体して東京招魂社が設立された旨の記述があるように、「忠魂」を天皇のために忠義を尽くして死んだ者の魂を意味するものと解して、靖国神社の祭神と同じ意義で用いられることも一般的となった。「忠魂碑」と題された一番最初の碑は、現在岡山城外に存在している「官軍備州忠魂碑」であり、この碑は、明治元年、天皇軍のために勇戦した岡山藩の戦死者のため藩主が作らせたものであって、それには、戦死者二八人の姓名が一人一人記入されている。その後、明治七年の佐賀の乱から明治一〇年の西南戦争にかけての一連の士族の反乱で死亡した政府軍の死者のために各地で碑が建てられたが、さらに、明治二七、二八年の日清戦争、明治三七、三八年の日露戦争の遂行に伴い、ことに日露戦争では多くの戦死者が出たため、戦後、帰還、復員した戦友や遺族を中心に、戦死者の勲功を顕彰し、その霊を慰めるための多数の碑が全国に建てられた。このころまでの碑の建立の主体は、郡市町村や地元の有力者あるいは仏教会等の民間団体等と様々であったが、明治四三年に在郷軍人の統一的指導機関である帝国在郷軍人会が設立されてからは、もっぱら同会の分会が建立を推進し、また、既設のものを含めて管理するようになった。碑の名称は、明治初年は「招魂社」が圧倒的に多かったが、次第に「征清紀念碑」、「日清戦役従軍記念碑」、「日露戦役記念碑」、「彰功紀念碑」、「忠勇紀念碑」等の「○○記(紀)念碑」の類の名称がみられるようになり、日露戦争後は「忠魂碑」という名称が多く用いられるようになり、定着していった。なお、「忠魂碑」、「英霊碑」等は明治期には少なく、昭和期になってみられるようになったものであり、これは、「忠霊塔」、「英霊塔」等の「塔」を付したものも同様である。これらの碑の材料となる石材は、自然石をそのまま使い、ほとんど人工加工をしないものから、ある程度加工を施したもの、表面を滑らかに研磨し、人為的に規則正しい形にしたもの、その上に金属性の装飾を取りつけたものなど多岐にわたっているが、形状はさらに多様であり、自然石の形そのままのものや、普通の角柱式のもの、先端が尖った角柱式のもの、円柱式のもの、尖塔式のもの、楼閣式のもの、砲弾を模したもの等種々様々であり、台石も、平たい自然石を二、三層積み重ねた簡単なものから、石垣状のもの、方形の基壇を備えているもの、石段がついているものなど多様であり、高さは、低いものは大人の背丈くらいで、大体、台石を含めて三メートルから五、六メートルまでのものが多かった。碑文については、日清戦争までの碑文は、概ね標題だけでなく、碑の由来を記した文章が刻されていたが「忠魂碑」という名称が定着した日露戦争後は、多くが、いわゆる標題碑文といわれるものであり、碑の表面に「○○碑」と縦書きに大きく陰刻され、その傍らに揮筆した者の姓名を小さく記し、裏面は、建立年月日のみを記すのが普通(戦没した兵士の名を録することもあった。)であった。揮筆者は、大体は陸軍の将官で、乃木希典、大山巌などが目につくが、後に在郷軍人会ができてからは、その歴代の会長・副会長が多かった。なお、在郷軍人会は、明治二〇年ころから各地で軍人協会等の施設団体が相次いで生まれていたものが、明治四三年一一月に帝国在郷軍人会として統一的な組織となったものであり、その目的の一つに「会員相互の扶助及び慰藉の方法を講ぜしめること」という点があり、その一環である戦没者の慰霊・顕彰事業として忠魂碑の建設を盛んに行うようになった。在郷軍人会は、創立直後から逐次市町村の補助金の交付を受け、まもなく勅語及び内帑金の下賜を受けて社会的権威を著しく高め、やがて国庫補助金の交付を得られるようになり、さらに、昭和一一年九月、帝国在郷軍人会令(勅令)の公布により、公的団体として戦没者の弔祭・慰霊・顕彰を行い、忠魂碑の建設をその枢要な業務として、これを所有管理するようになった。

(2) 昭和一四年に招魂社が護国神社とされたことは前記のとおりであるが、一方、満州事変、日中戦争で戦没した人々を慰霊・顕彰するための碑・塔建設の動きも強まってきた。昭和一三年二月、政府は警保局長神社局長通牒「支那事変ニ関スル招魂社又ハ記念碑ノ建設ニ関スル件」を発して、記念碑の建設運動に対して抑制的な態度で臨んだが、昭和一四年二月には、警保局長神社局長通牒「支那事変ニ関スル碑表建設ノ件」を出して、一市町村を単位として一基に限り、忠魂碑等の記念碑又は戦没者の遺骨を納める忠霊塔のいずれかの建設を許可する方針を立て、続いて、陸軍省副官通牒「支那事変ニ関スル碑表建設ノ件」を出して、各市町村を単位として戦没者の遺骨を納める忠魂塔の建設運動を軍において積極的に支援する姿勢を打ち出した。そして、同年五月、戦死者の遺骨の合祀、忠霊の顕彰を目的として、陸軍、海軍、内務省その他の省庁を共同所管とする財団法人として大日本忠霊顕彰会が発足し、以後は同会が中心となって忠霊塔の建設運動が進められた。忠霊塔の建設が盛大になるに伴って、忠魂碑の建立は昭和一六年ころから極端に少なくなった。

(3) 忠魂碑等の碑前ではかなり古い時期から神式又は仏式の祭儀が行われていたようであるが、明治三一年四月、埼玉県は、神社境内地の建碑に関し、内務省社寺局に対し、「征清ノ役、従軍死亡者ノ為メニ神事トシテハ招魂社、仏事トシテハ忠霊碑等ト称スル建碑ヲ参拝ノ目的トナシ、神事又ハ仏式ニヨリ其ノ祭事ヲ経営セントスルノ主旨ヲ以テ、該碑建設ノ儀ヲ伺出タルモノアリ。右等建碑ヲ参拝ノ目的トナスコトハ、総テ不相成方ニ可有之哉。」との照会をし、これに対し、内務省社寺局は、「右等建碑ヲ参拝ノ目的物トナシ、神事又ハ仏式ニヨリ、其ノ祭事ヲ経営セントスルハ、許可難相成義ト存候。」として、これらの碑を参拝の目的物とすることは許可できない旨を回答している。その後の通牒等をみても、行政側では、忠魂碑等を参拝の目的としたり、祭事を執行するために造設することを容認しなかった。しかし、在郷軍人会では、忠魂碑を建立した際、除幕式あるいはこれとともに招魂祭、慰霊祭等を行っていたほか、その建立後は、その前で招魂祭、慰霊祭あるいは追悼会、供養会等が挙行される場合が多かった。これは、前記のように、内務省の側では、戦没者の祭祀施設である護国神社の創立を原則として一都道府県一社に限定するという方針であったのに対し、一般国民あるいは在郷軍人会等では、各地域の戦没者の霊を郷土である各市町村に祀り、そこに慰霊の場を設けたいという希望が強かったこと、その場合、戦没者を記念する碑の前が一番招魂祭の祭場にふさわしいと考えられたことによる。

(4) 右忠魂碑等の前での慰霊の祭式は、追悼会、供養会等の場合は仏式のものが多かったが、招魂祭、慰霊祭の場合は、神式あるいは神仏併用又は神仏隔年交替で行われた。神式の場合には、忠魂碑等の碑の前に神霊の依代である神籬(ひもろぎ)を立てて、その前に祭壇を設け、その都度招霊して祭典を持ち、神仏併用の場合には、神式の祭典に引き続いて仏式で各宗僧侶の読経による供養が行われた。右の祭式においては、忠魂碑自体は、原則的には祭祀の目的物となるわけではなかった。神社界は、神仏併用の招魂祭を好ましく思っていなかったが、現実にはこれが広く挙行されていたようである。このような忠魂碑前での招魂祭あるいは慰霊祭は、満州事変以後ますます活発になっていき、戦没者遺族等にとどまらず、一般住民及び児童生徒もそれに参列して参拝するようになり、昭和一〇年には、内閣書記官長の通達によって、国体の本義を明徴にし、これに基づいて教育の刷新を図るため、児童生徒に忠魂碑への参拝をさせることが学校長に命じられた。以後終戦まで、児童生徒の忠魂碑への参拝が励行されていたことはもとより、その前での拝礼も日常化され、昭和一〇年代には、戦線の拡大と戦没者の増加に伴い、忠魂碑前の慰霊祭が盛大に催された。

(5) 敗戦後の昭和二〇年一二月、連合国軍総司令部は前記のような神道指令を発したが、政府は、右指令を受けて、昭和二一年一一月一日、内務文部次官通牒「公葬等について」を発した。右通牒は、その一項から三項までにおいて、地方公共団体等が慰霊祭等宗教的行事にどこまで関与しうるか、戦没者に対する葬儀等に対する地方公共団体等の援助等の限界を定め、四項において、

「忠霊塔、忠魂碑その他戦没者のための記念碑、銅像等の建設、並びに軍国主義者又は極端な国家主義者のためにそれらを建設することは今後一切行わないこと。現在建設中のものについては直ちにその工事を中止すること。なお現存するものの取扱は左によられたい。

イ 学校及びその構内に存在するものは、これを撤去すること。

ロ 公共の建造物及びその構内又は公共用地に存在するもので、明白に軍国主義的又は極端なる国家主義的思想の宣伝鼓吹を目的とするものはこれを撤去すること。

前項のことは、戦没者の遺族が私の記念碑、墓石等を建立することを禁止する趣旨ではない。」

とし、その五項において、「一般文民の功労者、殉職者等のための記念碑、銅像等を建設することや、その保存事業を行うことは差支えない。」としている。

さらに、政府は、同月二七日、内務省警保局長通牒「忠霊塔、忠魂碑等の措置について」を発したが、その内容は、次のようなものであった。

「本月一日発宗第五一号内務文部両次官通牒『公葬等について』の内第四項中現存する忠霊塔、忠魂碑、銅像等の措置については左記に拠られたい。

一  学校、学校の構内及び構内に準ずる場所に在るものは撤去する。

二  公共の建造物及びその構内または公共用地に在るもので明白に次のような軍国主義的又は超国家主義的思想の宣伝鼓吹を目的とするものは撤去する。

イ  日本天皇は其の先祖、家柄及び特殊なる起源の故を以て他国の元首に優越するとの教義

ロ  日本国民は其の祖先、家柄又は特殊の起源の故を以て他国民に比し優越し居れりとの教義

ハ  日本諸島は特殊の起源の故を以て他国に比し優越し居れりとの教義

ニ  日本国民を欺瞞し以て侵略戦争に導入し又は他国との紛争解決の為道具としての武力行使を賛美するに役立つ其の他の教義

単に忠霊塔、忠魂碑、日露戦争記念碑等戦没者の為の碑であることを示すに止るものは原則として撤去の必要はない。

(三項以下略)」

右一項中の「構内に準ずる場所」に関して、文部省は、昭和二二年八月、山口県教育部長からの「忠魂碑が学校及びその構内にはないが、学校の付近にある場合、又は生徒、児童が通学の途上見得る路傍等にある場合は撤去せねばならないか。」との照会に対し、「忠魂碑が生徒、児童の教育上に及ぼす感化、影響が強いと認められる場合には撤去する方がよいと思う。」と回答している。

(6) 右のように、神道指令及びこれを受けた日本政府の通牒によって撤去すべき忠魂碑の基準は明らかであったが、各地では、占領軍による処罰等を恐れ、これらの通牒等に過剰に対応し、学校構内等にあるもののみならず、公共建造物及び公共用地に建てられていた忠霊塔、忠魂碑の多くが撤収された。しかし、これら撤収された碑のすべてが破壊されたわけではなく、地中に穴を掘って埋めたり、あるいは目立たない場所に移転して維持を図ったり、碑文・碑銘の模様替え(平和塔、供養塔等)をして維持を図ったりしたものも多かった。

(7) 昭和二七年四月二八日、対日講和条約が発効して連合国の日本占領が終了したのに伴い、戦没者の慰霊・顕彰の営みも自由になり、撤収されていた既設の忠霊塔、忠魂碑等が相次いで復元、再建され、また、新規の建設も続々と計画、実行されるようになった。建碑の主体は、概ね各地の遺族と戦友であり、それを地方公共団体が側面から援助するというのが一般的なやり方であったが、中には自治体の方が主体となって進めた事例も見受けられる。この時期のものは、地域単位のほかに、戦没地、部隊、鑑艇単位等でも数多く建てられている。また、この時期の碑や塔の素材や形状は非常に多岐にわたっているが、碑文は口語体のものが多く、碑銘については、「慰霊碑」、「慰霊塔」の類が多く、「鎮魂碑」、「弔魂碑」、「哀悼碑」、「鎮霊塔」、「供養塔」というものもある一方、「忠魂碑」も少なくなく、「彰忠碑」、「表忠碑」、「英霊碑」、「英魂碑」、「雄魂碑」、「彰魂碑」、「士魂碑」、「報国塔」、「建勲塔」等もあり、「殉国碑」、「殉国慰霊碑」、「殉国英霊碑」等も相当数ある。文部省は、このような建碑状況の下で、昭和二七年九月、富山県からの「忠霊塔、忠魂碑その他戦没者のための記念碑銅像等を建設することは差支えないか。」との問い合わせに対する回答「戦没者の記念碑等について」(富山県総務部長宛文部省調査局長回答)において、「宗教施設又は宗教的行事を伴う施設でない限り、公の機関が殉職者(戦没者を含む)等の記念碑等を建設することは、政教分離の原則に抵触しないものと考える。ただし、『忠霊塔』、『忠魂碑』等誤解を招きやすい語はなるべく避けられたい。」とし、その後も同旨の回答を繰り返しているが、この趣旨は必ずしも守られず、その後に建設された碑の中にも「忠霊塔」、「忠魂碑」等と題されたものも多かった。これらの碑の前では、建設当初から、神式又は仏式あるいは神仏合同形式による戦没者慰霊祭が営まれる場合が多く、それは現在に至るまで続いている。

(8) 箕面市は、昭和五八年二月一日を基準日として全国三二五五市町村を対象に碑・塔等に関する実態調査を行ったところ、二六九九市町村から回答があった。右調査は、市で作成した「碑・塔に関する調査票」を各市町村に配付するとともに、文献により碑等の所在が判明する市町村にあっては、調査票に判明した事項を記入し、当該市町村において加筆訂正するという方法で行われた。

右調査の回答結果に基づく集計によれば、戦争に起因して建立された碑・塔等(社、殿、堂等を含む。)は二六九九市町村において合計一万〇三四四基が現存し、その内訳は、忠魂碑四〇八八基(39.5パーセント)、慰霊碑九二七基(9.0パーセント)、忠霊塔六八五基(6.6パーセント)、慰霊塔五九一基(5.7パーセント)その他(記念碑、殉国碑、招魂碑、英霊碑、表忠碑、戦没者之碑、忠霊碑、平和塔等)であり、そのうち昭和二〇年八月一五日以降に建立されたものは、忠魂碑九八七基、慰霊碑八三〇基、忠霊塔四一四基であること、また、これらの碑・塔等に関し、追悼式・供養祭等の名称のいかんにかかわらず、戦没者・戦争犠牲者等に対して行われる慰霊・顕彰のための慰霊祭が実施されているものは六〇五二基(約58.5パーセント)あり(不明三一五〇基)、そのうち慰霊祭の形式の判明している碑・塔等五四四九基の内訳は、仏式二五八九基(約47.5パーセント)、神式一九八五基(約36.4パーセント)、神仏合同方式二七八基(約5.1パーセント)、キリスト教式一五基(約0.3パーセント)、無宗教方式五八二基(約10.7パーセント)であり、これを忠魂碑二二六七基に限ってその内訳をみれば、仏式一〇九七基(約48.4パーセント)、神式八六〇基(約37.9パーセント)、神仏合同方式一二六基(約5.6パーセント)、キリスト教式二基(約0.15パーセント)、無宗教方式一八二基(約8.0パーセント)となっていること、慰霊祭の行われている六〇五二基のうち、慰霊祭の主催者は、主なものは、遺族会が一五七〇基(約26.0パーセント)、市町村が六六〇基(約10.9パーセント)、自治会が五七二基(約9.5パーセント)、奉賛会が三六五基(約6.0パーセント)、社会福祉協議会が三四三基(約5.7パーセント)、これらの主催者を含む複数の主体による共催が四三六基(約7.2パーセント)、その他が八〇八基(約13.3パーセント)、主催者不明が一二九八基(約21.4パーセント)であり、これを忠魂碑二四八五基に限ってその内訳をみれば、遺族会が七〇一基(約28.2パーセント)、市町村が二六四基(約10.6パーセント)、自治会が二四〇基(約9.7パーセント)、奉賛会が一六四基(約6.6パーセント)、社会福祉協議会が一五八基(約6.4パーセント)であり、これらの主催者を含む複数の主体による共催が一八二基(約7.3パーセント)、その他が二七〇基(約10.9パーセント)、不明が五〇六基(約20.4パーセント)であること、慰霊祭が碑・塔等の前で実施されている割合は、忠魂碑二四八五基中一一八八基(約47.8パーセント)、慰霊碑五五一基中二五三基(約45.9パーセント)、記念碑二一五基中九五基(約44.2パーセント)、忠霊塔四八三基中二四三基(約48.4パーセント)、慰霊塔四二〇基中二三九基(約56.9パーセント)であり、全体としてみると、慰霊祭の行われている碑・塔等合計六〇五二基中二九四二基(約48.6パーセント)について碑・塔等の前で慰霊祭が実施されていること、以上のようなものであった。

右調査は、甲第三四二号証(大江志乃夫作成の鑑定書)が指摘するとおり、調査主体が箕面市という訴訟関係者であり、また、調査票の記載も正式な公文書として作成されたものではないうえ、調査票の様式等に照らしても、記載内容の正確性が必ずしも十分に担保されているとはいいがたいこと、さらに、右調査は、全国の市町村から回答を得たものではなく、碑・塔が相当数存在すると考えられる東京二三区を除外していること、種々の面で誤記入等の存在する可能性が否定できないことなど、必ずしも全国の碑・塔の実態を正確かつ客観的に示すものとはいいがたい面がある。しかし、右調査内容は比較的単純な事項で、記載者の主観に左右されるようなものではなく、また、その調査範囲も右一部を除いてほとんど全国の都道府県にわたっており、その調査対象がかなり広範囲かつ大量であることにかんがみれば、内容にある程度誤記入があるとしても、総合的な平均値としてみた場合、この種の碑・塔のおおよその実態と傾向を知るうえでは、一つの参考になると思われる。

3 憲法八九条前段及び二〇条一項後段の解釈

憲法は、二〇条及び八九条にいわゆる政教分離の原則に基づく諸規定を設けているところ、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家(地方公共団体を含む。)と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが、わが国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を越えるものと認められる場合にこれを許さないものと解すべきである(最高裁判所昭和五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、同昭和六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁)。右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」とは、宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく、国家が当該組織ないし団体に対し特権を付与したり、また、当該組織ないし団体の使用、便益若しくは維持のため、公金その他の公の財産を支出し又はその利用に供したりすることが、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になり、憲法上の政教分離原則に反すると解されるものをいうのであり、換言すると、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指すものと解するのが相当である(最高裁判所平成五年二月二六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁)。

控訴人らは、憲法八九条前段の「宗教上の組織若しくは団体」及び憲法二〇条一項後段の「宗教団体」とは、広く宗教に関係ある事業ないし活動そのものを指すと解すべきである旨主張するが、前述したところに照らして、採用できない。

なお、控訴人らは、憲法の政教分離原則違反について論じるためには、「宗教」の定義を明らかにする必要がある旨主張する。しかし、社会一般で「宗教」といわれる現象は極めて多様であり、宗教学においても「宗教」の定義については定説がないのであって(乙第一一九号証によれば、文化庁文化部宗務課編「宗教の定義をめぐる諸問題」(昭和三六年三月)には、内外の学者による一〇四にのぼる宗教の定義が紹介されていることが認められる。)、憲法の政教分離に関する規定の解釈に当たって、「宗教」の定義をすることは困難であるし、具体的な事象について憲法の政教分離原則違反の有無を判断するに当たっては、社会通念上一般に「宗教」と呼ばれているものを前提にして(もとより、宗教学その他の学問による知見を参照することが有益であることを否定するものではない。)、憲法の政教分離原則の目的・趣旨に照らして具体的に検討すれば足りると考えられ、「宗教」の定義や判断基準をあらかじめ確定しなければならないものとは解されないから、控訴人らの右主張は採用しない。

4 市遺族会の宗教団体性について

前記3で述べた見地から、市遺族会の宗教団体性について、検討する。前記1及び2で認定した事実によれば、市遺族会の宗教団体性の有無の判断に関連性を有する事柄として、次のような事実を指摘することができる。

(一) 日本遺族会の性格及び活動

日本遺族会は、そもそも昭和二八年三月に遺族連盟が発展的に解消して、財団法人として発足したものであるが、遺族連盟は、敗戦後の混乱状況の中から戦争犠牲者遺族の連帯と相互扶助を目指して結成された団体である。そして、日本遺族会は、その発足当初から、靖国神社の国家護持をはじめとする英霊の顕彰運動も事業目的の一つにしていたとはいえ、初期の事業の中心は、公的扶助料の増額等遺族の福祉の増進、慰藉救済の道を開くことにあった。その後、同会の運動の成果もあって、遺族に対する経済面の処遇が次第に改善されるにつれ、遺族の精神的慰藉の面を持つ英霊顕彰事業にも重点が置かれるようになってきた。右英霊顕彰事業の中心は、昭和三七年ころまでは、靖国神社の例大祭等への奉賛や、各護国神社での慰霊祭執行、靖国神社参拝に関する業務等であったが、それ以後は、靖国神社国家護持や、公式参拝実現運動等が最も中心となる運動になっている。もっとも、日本遺族会は、次第に英霊顕彰事業にその事業の重点を移してきたとはいえ、歳出面でみれば、英霊顕彰事業自体の費用としてはそれほど大きな割合を占めるものとも認められないばかりでなく、右事業以外の戦没者に対する各種給付金の増額、支給範囲の拡大等の運動も、同会の重要な事業として継続しているほか、最近では、平和祈念総合センターの建設構想や、原爆被害者、一般被災者らの処遇改善問題への取組みも、その事業方針に含めている。また、日本遺族会の英霊顕彰事業も、靖国神社との関係に尽きるものではなく、同事業の一環として、外地遺骨収集の完全実施及び慰霊塔の建立の推進、戦跡巡拝実施、全国戦没者追悼式国費参加者の増員、戦没者の遺影・遺品等の収集、遺書等の記録保管と公開や、戦没者叙勲の実施あるいは英霊の日制定を目指す運動等もその中に含まれている。

(二) 日本遺族会と靖国神社とのかかわり合い

日本遺族会と靖国神社とのつながり、かかわり合いについてみると、日本遺族会の前身である遺族連盟の結成に当時の靖国神社の嘱託であった大谷藤之助が尽力したことに始まり、その後も、日本遺族会の理事と靖国神社の責任役員の間に交流関係が続き、日本遺族会の成立当初から靖国神社と密接なつながりを持ってきた。宗教法人靖国神社規則三条には、「本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者」とあり、同神社においては、同神社を信奉する祭神の遺族を同神社の崇敬者(信者・信徒)と位置づけており、日本遺族会の会員は、同神社に祀られている祭神の遺族であり、かつその中には同神社を信奉する者も多くいると推測されるから、右規定上は、同会の会員の多くが同神社の崇敬者ということになる。日本遺族会及びその各都道府県支部の活動としても、靖国神社の例大祭等への奉賛や同神社への参拝ないしその世話は、一貫して大きな比重を占めていると考えられる。また、日本遺族会の主催する慰霊大祭は、靖国神社において、同神社の祭式に従った形で行われている。さらに、日本遺族会は、遺族連盟時代の昭和二七年一一月に靖国神社の慰霊行事を国費で支弁することを決議して、政府と国会にその旨の要望書を提出し、さらに、日本遺族会として発足後は、昭和二八年一一月に日本遺族会及び各都道府県の遺族会の会長らが理事となって靖国神社奉賛会が設立され、昭和三一年ころからは、日本遺族会独自で靖国神社法案の草案の検討を開始するとともに、毎年の全国戦没者遺族大会で、靖国神社の国家護持に関する決議や、それに基づく署名運動などを繰り返し、昭和四四年に靖国神社法案の国会提出に至った後は、右法案の可決・成立は当面客観的情勢から困難であるとみるや、運動方針を一時変更し、靖国神社の公的地位向上を主目的とする全国民的な英霊顕彰組織の結成を呼びかけ、日本遺族会が中心になって「英霊にこたえる会」を結成し、以後は右会と協力関係を保ちつつ、引き続き、靖国神社公式参拝の要求等、靖国神社の公的地位向上の運動を続けている。右の英霊顕彰は、その内容として、戦没者の霊を祭神として靖国神社に祀ることを含み、あるいは前提とするものであるから、宗教的意義があることは否定できない。

前記のとおり、日本遺族会と靖国神社との間には相当密接なつながりがあることは否定できないが、両者が法的には別個独立の組織であることはいうまでもないし、宗教法人靖国神社の規定があるからといって、日本遺族会の会員が当然に靖国神社の信徒ということになるわけではなく、日本遺族会及びその会員である遺族らにおいても、日本遺族会を必ずしも靖国神社の信徒団体として位置づけしているとは思われないし、客観的にみても、日本遺族会が同神社の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動をすることを本来の目的としているとみることはできない。日本遺族会が靖国神社と深いかかわり合いを持ち、その国家護持運動を進めるゆえんは、必ずしも同神社の神社としての隆盛、発展あるいは同神社の教義とこれに対する信仰の普及、拡大自体を目指すところにあるとは解されず、むしろ、戦没者が国家のために一命を捧げたものである以上、戦没者に対する国のかかわりと責任を明確にし、その遺族に対しては、国家として公的な慰藉の態度を示すべきであり、そのための戦没者の慰霊の場としては、歴史的沿革からも、遺族の心情からも、靖国神社が最もふさわしいという趣旨に出ているものと解される。また、「英霊」という言葉の持つ宗教性に関していえば、戦後の国家神道体制の解体に伴い、「英霊」という言葉の持つ宗教性にも変容があるのであり、今日、一般には、右の言葉は、天皇のために忠義を尽くして死んだということよりも、国家のために命を捧げて死んだ者という意味での戦没者に対する一般的な美称として用いられていると考えられ、右の言葉自体の持つ宗教的意義は希薄になっていると解される。

(三) 戦後における靖国神社及び国家神道

戦前の国家神道体制においては、靖国神社はその中核を担い、軍との関係も深かったものであり、また、国家神道が軍国主義の精神的な支えになっていたことも顕著な事実である。しかし、戦後は、神道指令等によって事実上の国教制度としての国家神道体制は完全に解体し、靖国神社も一宗教法人となり、戦前とは地位が一変したことが明らかである。もっとも、靖国神社の歴史的経緯や、戦後も第二次世界大戦における戦没者を合祀してきていることから、国民の中に一般の神社その他の宗教施設とは異なった思いを抱く人も多いであろうことは推察に難くないし、靖国神社の国家護持や公式参拝を求める声が強い一方で、このことが戦前の国家神道の復活につながるおそれがあるとの危惧の念を抱く国民が相当数いることも、無理からぬところがある。もちろん、神道やその宗教施設としての神社は、戦後、国家との制度的な結びつきがなくなったとはいえ、現在も宗教として健在であることはいうまでもないし(神道指令においても、国家と切り離された神道を信仰することは国民の自由とされた。)、日本の歴史に深く根ざした民族宗教として今日の日本人の生活に広くかかわっていることは疑いなく、また、皇室の祭祀も維持されている。しかし、だからといって、戦前のように政治体制と結びつき、事実上の国教としての地位にあった国家神道が、現在も存続しているものでないことはいうまでもないし、戦前とは法的地位の一変した靖国神社が存続することをもって、現在もなお宗教思想としての国家神道が根強く存続していると評価することもできない。

(四) 忠魂碑

忠魂碑は、もともとの起源をたどると、幕末以来国事に殉難した者の慰霊・顕彰のために各地に建立された碑であり、日露戦争後は、戦死者の慰霊・顕彰のために全国に多数建てられたが、基本的には、記念碑としての性格を有するものである。もとより、記念碑であることと宗教性があることとは両立しえないものではなく、忠魂碑の発生起源をみると、後に靖国神社や護国神社となった各地の招魂社、招魂場と関係が深いことや、碑前で招魂祭のような明らかな宗教上の祭式による慰霊祭が行われてきた事実等に照らすと、一般的に、忠魂碑に全く宗教性がないとはいえないであろう。また、忠魂碑の「忠魂」という名辞は、天皇に忠義を尽くした戦死者の魂という意味で多く用いられてきたものであり、靖国神社の祭神ともほぼ一致する。しかし、「忠魂」という名辞が用いられたからといって、ただちに東京招魂社ないし靖国神社と不可分の関係に示すものとまではいえないのであって、在郷軍人会を中心に各地で戦没者の慰霊・顕彰のために建立された忠魂碑は、特定の宗旨によるものではなく、戦前においても、忠魂碑自体は、必ずしも祭祀の目的物ではなかったし、行政の側でも、忠魂碑を参拝の目的物とすることに消極的な態度をとっていた。このように、忠魂碑は、基本的には、戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑としての性格が強いものであった。本件忠魂碑も、そのような性格の碑の一つとして、大正五年に建立されたものである。

忠魂碑は、戦前、軍国主義の精神的基盤となった国家神道が形成、確立されてきた明治中期から昭和二〇年の敗戦までの間は、軍国主義の精神的象徴の中に組み込まれ、児童生徒の参拝が励行されたり、碑前の慰霊祭が盛大に催されたりして、国家神道の一翼を担うという経過をたどった。

しかし、敗戦後は、国家神道の解体により、軍国主義、超国家主義に利用されることもなくなり、本件忠魂碑を含めて、新たに再建又は建立された忠魂碑は、一般的には、もっぱら戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑として認識されている。もっとも、国民の中には、戦前、忠魂碑が軍国主義を支える国家神道の体制に組み込まれた宗教施設として利用されてきたことに対する記憶から、現在の忠魂碑に対しても警戒心を抱き、そこに靖国神社や国家神道的な宗教思想に対する関連性を見出す者もいることは否定できない。しかし、国家神道が解体し、日本遺族会や各地の忠魂碑を維持管理する遺族会と靖国神社との法的なつながりもない現在においては、一般には、忠魂碑を維持することが戦前の国家神道を支持するものであるとか、天皇・日本国・日本国民の優越性を誇示し又は日本国民を侵略戦争に向かわせたり、紛争解決手段として武力行使を賛美するものではないと認識されており、忠魂碑を靖国神社の宗教施設のようなものとしてとらえる意識も希薄であると考えられる。

その他、本件忠魂碑に関して、控訴人らが、宗教性を有するとする根拠として挙げる点についてみると、本件忠魂碑の構造・様式からは、確かに、ある種の荘厳さを帯びていることがうかがえるが、死者とりわけ戦没者・遭難者等非業の死を遂げた者を慰霊・顕彰・追悼する目的で設置された施設については、忠魂碑に限らず、種々の戦没者記念碑、墓苑、追悼式式壇等に、多かれ少なかれ荘重かつ厳粛な雰囲気が生じるように構造上・様式上の配慮がされることは、死者に対する自然な敬弔の念のしからしめるところであって、本件忠魂碑もそのような一般的な場合と本質的に異なるものとは認められない。さらに、本件忠魂碑の移設・再建に当たって、移設・再建工事を請け負った建設会社が本件忠魂碑前で神式の祭儀を行い、これを市遺族会の側で脱魂式・入魂式と呼んでいたが、右儀式は死者にかかわる土木工事を行う業界の通例として行われたものである。さらに、昭和四一年ころ、当時の市遺族会の会長が、旧忠魂碑に、過去帳記載の戦没者の氏名を丸杉板及び「霊璽」と記された本柱に移記し、これを本件忠魂碑の基礎土台中に納めたが、これらは宗教上の手続きに従って行われたものではなく、市遺族会の会員もその存在を知る者は少なかったのである。以上、いずれも本件忠魂碑が宗教施設であるとする十分な根拠になるものではない。

以上のとおり、忠魂碑一般についてみても、また本件忠魂碑に限ってみても、少なくとも戦後においては、基本的には戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑としての性質を有するものであって、その宗教性は希薄であり、これを靖国神社の宗教施設あるいは「村の靖国」というようにとらえることは、適切なものとは考えられない。

(五) 碑前慰霊祭

本件忠魂碑前では、毎年神式と仏式隔年交替で区遺族会主催の慰霊祭が行われており、右慰霊祭自体は、宗教儀式に従って行われるもので、宗教性があることは否定できない。しかし、右慰霊祭は、現在においては、基本的には国家のために一命を捧げた戦没者に対して、遺族として追悼・慰霊するものであって、靖国神社その他特定の宗教に対する信仰、礼拝を直接の目的とするものではない。右慰霊祭が本件忠魂碑前で行われるのは、本件忠魂碑が戦没者の慰霊・追悼のための記念碑であるから、その戦没者の慰霊・追悼の儀式である慰霊祭もその前で行うことがふさわしいと考えられたためであり、それ以上の意義を有するものとは認められない。

なお、控訴人らは、「慰霊」という言葉自体が、本来、超自然的、超人間的存在の確信に基づく行為を表し、神道系統の観念である旨主張するところ、「慰霊」という言葉が厳格な意味では控訴人ら主張のように解すべき場合があるとしても、わが国で一般に「慰霊」とか「慰霊祭」という場合には、人間として普遍の感情に基づく死者の追悼にほかならず、それ自体では宗教性を有するものではないのであって、このことは、各地で無宗教の方式で行われる死者の追悼の儀式が「慰霊祭」と呼称されていることからも明らかである。本件碑前での慰霊祭も、基本的には、右に述べたような「追悼」と同じ意味での「慰霊」と異なるところはない。

(六) 市遺族会の性格及び活動

市遺族会は、各会員の慰問激励とその厚生の方法を講じ、遺族の福祉向上に資することを目的として結成された団体であるが、日本遺族会の組織の一部である一地方支部であるから、基本的には日本遺族会と同一の性格を有する。市遺族会の事業内容としては、① 戦没者の追悼・慰霊事業及びそれにかかわる事業(a 靖国神社参拝を目的とする上京旅行、b 本件忠魂碑前での慰霊祭を含む各地区遺族会(支部)慰霊祭の挙行、c 全国又は大阪府の戦没者追悼式への参加及びその取りまとめ、d 大阪護国神社春秋大祭参加、e 四天王寺の英霊堂での慰霊行事への協賛)、② 会員相互の親睦、慶弔事業(a 靖国神社参拝を主目的とする上京旅行、b 大阪府遺族会の春秋上京旅行参加、c 死亡遺族への弔慰金の支出等)、③ 国、大阪府関係における遺族援護行政にかかわる事業(a 遺族援護関係法律の改正点等の周知徹底、b 戦跡参拝、遺骨収集の参加者の取りまとめ等、c 府の年末慰問品配付及び戦没者遺族実体調査票配付の手伝い)、④ その他の事業(a 市遺族会の活動、運営に関する事業、b 他団体とのつながり、交際関係の事業、c 府遺族会との連絡、会議、日本遺族会への会費納入等、d 青年部による靖国神社参拝研修、e 神社暦の配付、f 本件忠魂碑の維持、管理)といったものがある。これらの事業の中には、碑前慰霊祭のほか、靖国神社の参拝、大阪護国神社春秋大祭参加、四天王寺の英霊堂での慰霊行事への協賛等宗教にかかわる活動も含まれていることは確かであるが、市遺族会がそのような宗教にかかわる活動を行っているのは、戦没者遺族の集合体としての性質上、右遺族らの精神的慰藉を図る目的によるものと考えられ、それを超えて、宗教的活動それ自体あるいは特定の宗教、宗派の教義、信仰の普及、拡大を目的としているものとは認められない。

5 市遺族会の宗教団体性についての判断及び憲法八九条前段、二〇条一項後段違反の有無

前記4で検討した事実を総合すれば、日本遺族会は、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立され、かつ現に活動している団体であって、その事業の一つである英霊顕彰事業として、政府主催の遺骨収集、外地戦跡の慰霊巡拝、全国戦没者追悼式等への参加、協力などの活動をしているが、そのほか、靖国神社の例大祭への奉賛、靖国神社での慰霊大祭の執行、靖国神社の参拝等の宗教的色彩を帯びた行事をも実施し、さらには、靖国神社国家護持の推進や公式参拝実現を目指す運動にも参画しているなど、靖国神社と相当密接なつながりを持ってきたことも否定できないところである。また、市遺族会は、日本遺族会の一地方支部として、基本的には日本遺族会と同一の性格の団体であるところ、その活動中には、本件忠魂碑前での神式又は仏式による慰霊祭の挙行、靖国神社の参拝等の宗教的色彩を帯びた行事の実施も含まれている。しかし、日本遺族会及び市遺族会による宗教的色彩を帯びた右行事の実施及び右運動への参画は、いずれも、会の本来の目的として、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行おうとするものではなく、その会員が戦没者の遺族であることにかんがみ、戦没者の慰霊、追悼、顕彰のために右行事等を行うことが、会員の要望に沿うものとして行われているものというべきである。

控訴人らは、日本遺族会及び市遺族会が靖国神社の信徒団体である旨主張するが、日本遺族会及び市遺族会と靖国神社とのかかわり合いをみても、日本遺族会及び市遺族会が靖国神社の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を本来の目的とするものとは解されず、控訴人らの主張するような同神社の信徒団体であると評価することは当を得ないものというべきである。

以上によれば、日本遺族会及び市遺族会は、いずれも、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体には該当しないものというべきであって、憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しないものと解するのが相当である。

控訴人らは、憲法八九条前段は、宗教上の組織若しくは団体(「宗教団体」)に対する公金の支出等を禁止しているのではなく、「宗教団体」の使用、便益若しくは維持のための公金の支出等を禁止しているのであるから、同条前段違反の有無を判断するためには、公金支出等がされる直接の対象が「宗教団体」に当たるか否かを判断するだけでは不十分である旨主張する。しかし、本件各行為は、市遺族会を直接の対象とし、かつ市遺族会のためにされたものであることは明らかであるところ、市遺族会が憲法八九条前段の「宗教団体」に当たらないことは前示のとおりである。また、控訴人らの主張は、本件各行為が、宗教団体である靖国神社のためにされたものであるともいえるとの趣旨も含むようであるが、本件各行為が靖国神社の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を援助、助長する目的と効果を有したものと評価できないことは、既に説示したところから明らかである(後記6も参照)から、その意味でも、本件各行為は、「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため」にされたものということはできない。

したがって、本件各行為が、憲法八九条前段、二〇条一項後段に違反する旨の控訴人らの主張は、理由がない。

6 本件各行為の憲法二〇条三項違反の主張について

(一)  憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているところ、前記3で述べた政教分離原則の意義に照らせば、ここにいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものに限られ、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうと解すべきである。

(二)  これを本件についてみると、本件補助金支出及び本件書記事務従事の相手先である市遺族会は、前記5までで認定したとおり、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊顕彰を主たる目的として設立され活動している団体であって、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を本来の目的とする団体ではない。もっとも、市遺族会は、本件忠魂碑前での神式又は仏式による慰霊祭の挙行、靖国神社の参拝、大阪護国神社春秋大祭参加、四天王寺の英霊堂での慰霊行事への協賛等の宗教性を帯びた行事を実施しているし、靖国神社の国家護持や公式参拝の推進運動への参画も、その目的において宗教的意義を否定できないところであり、本件補助金支出が、結果的には、市遺族会の宗教性を帯びた活動に対しても間接的な援助、助長の効果が全くないとはいえない。また、本件書記事務従事も、前記認定事実と乙第二六号証及び証人井上隆志の証言を総合すれば、その事務の中には、靖国神社参拝旅行、大阪護国神社の春秋慰霊大祭等の通知、出欠の案内等の文書の作成、発送等、宗教的な行事にかかるものも含まれていたことが認められるから、これまた、市遺族会の宗教性を帯びた活動に対する間接的な援助、助成の効果がないとはいえない。しかし、市遺族会が行っている右のような宗教性を帯びた活動は、会の本来の目的として、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行おうとするものではなく、その会員が戦没者遺族であることにかんがみ、戦没者の慰霊、追悼、顕彰のために右行事等を行うことが会員の要望に沿うものとして行われているものであることは、前記認定のとおりである。したがって、本件補助金支出や本件書記事務従事は、結果として市遺族会の右のような宗教性を帯びた活動に対する間接的な援助となる面があるとしても、あくまで、同会の目的とする戦没者の慰霊、追悼、顕彰による遺族の慰藉に対する援助の性格が主であり、宗教性を帯びた活動に対する援助の効果は、第二次的、間接的、付随的なものにとどまっている。そして、本件補助金支出や本件書記事務従事の目的は、遺族の福祉増進というもっぱら世俗的なものであることが明らかであり、その効果の直接的かつ主要なものは、遺族の福祉増進の面での金銭的ないし事務補助による援助であるから、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるようなものとは認められない。市遺族会の活動の中には靖国神社とのかかわりの深いものがあることは否定できないが、本件補助金支出や本件書記事務従事が、その目的において靖国神社を援助するというようなものでないことはもちろん、効果においても、同神社に対する援助になるようなものと評価することはできない。

したがって、本件各行為は、宗教とのかかわり合いの程度が、わが国の社会的・文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないものと解するのが相当である。

よって、控訴人らの前記主張は採用できない。

五  本件補助金交付(支出)の憲法八九条後段、社会福祉事業法五六条一項違反の主張について

1  社会福祉事業法五六条一項違反の主張について

控訴人らは、本件補助金は、憲法八九条後段が禁止した「慈善、教育若しくは博愛の事業」に対する公の助成を条件付で解除し、地方公共団体に社会福祉法人に対する補助金交付の権能を与える規定である社会福祉事業法五六条一項に基づいて、市社会福祉協議会に交付されたものであるところ、同条項は、地方公共団体に補助金を交付する手続を定める法形式として条例を指定しているにもかかわらず、市では、本件補助金交付当時、右条例を制定していなかったから、本件補助金交付は、重大かつ明白な憲法違反の瑕疵があり、無効である旨主張するので、検討する。

本件補助金を含む市補助金が箕面市から社会福祉事業法に基づく社会福祉法人である市社会福祉協議会に交付されたこと、右当時、箕面市では同法五六条一項に規定されている条例を制定していなかったこと、本件補助金交付は市補助金交付規則及び市社会福祉交付要綱によって行われたことは、前示のとおりである。社会福祉事業法五六条一項本文は、「国又は地方公共団体は、必要があると認めるときは、厚生省令又は当該地方公共団体の条例で定める手続に従い、社会福祉法人に対し、補助金を支出し、又は通常の条件よりも当該社会福祉法人に有利な条件で、貸付金を支出し、若しくはその他の財産を譲り渡し、若しくは貸し付けることができる。」と定めている。ところで、社会福祉事業法は、社会福祉事業を第一種社会福祉事業と第二種社会福祉事業とに区分し、特に厳重な規制を必要とする第一種社会福祉事業については、経営主体を原則として国、地方公共団体又は社会福祉法人に限定する(同法四条)とともに、社会福祉事業を行うことを目的として同法に基づいて設立される法人である社会福祉法人については、その設立に当たって所轄庁(都道府県知事又は厚生大臣)による定款の認可を要するものとし(同法二九条)、同法五六条により国又は地方公共団体が補助金の支出等の助成をした場合には、厚生大臣又は地方公共団体の長は、その助成の目的が有効に達せられることを確保するため、当該社会福祉法人に対し、「(一) 事業又は会計の状況に関し報告を徴すること、(二) 助成の目的に照らして、社会福祉法人の予算が不適当であると認める場合において、その予算について必要な変更をすべき旨を勧告すること、(三) 社会福祉法人の役員が法令、法令に基づいてする行政庁の処分又は定款に違反した場合において、その役員を解職すべき旨を勧告すること」ができる権限を有するものとし(同条二項)、さらに、国又は地方公共団体は、社会福祉法人が前項の規定による措置に従わなかったときは、交付した補助金若しくは貸付金又は譲渡し、若しくは貸し付けたその他の財産の全部又は一部の返還を命ずることができるものとしている(同条三項)。右の社会福祉事業法の規定を憲法八九条後段との関係でみると、憲法八九条後段は、「公金その他の公の財産は、……公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」旨定めているが、社会福祉事業法は、同法の定める社会福祉事業には憲法八九条後段にいう「慈善、博愛の事業」の性質を有するものがあることから、国又は地方公共団体が社会福祉法人に助成を行う場合に、前記のような監督権限を有するものとすることによって、憲法八九条後段の定める「公の支配」を及ぼそうとしたものと解される。そして、社会福祉事業法五六条一項は、地方公共団体が社会福祉法人に対して助成するに際して、その手続を条例で定めることを規定しているが、その趣旨は、同条による社会福祉法人への助成が当該地方公共団体の住民の権利義務にかかわるものであるから、条例で助成に関する手続を定めるものとしたことにあると解するのが相当である。同条にいう条例が助成に関する手続上の定めを内容とするものであることは、同条の規定の文言のほか、同条一項を受けて国が定めた厚生省令である社会福祉事業法施行規則の規定に照らしても明らかである。すなわち、同規則は、その五条に社会福祉法人に対する補助、助成に関する規定を置いているところ、その一項では、「(社会福祉事業)法第五六条〔助成及び監督〕の規定により法人が国の助成を申請しようとするときは、申請書に左の書類を添付して厚生大臣に提出するものとする。一 理由書、二 助成を受ける事業の計画書及びこれに伴う収支予算書、三 (略)、四 財産目録及び貸借対照表」とし、その二項では、「前項に規定するもののほか、助成の種類に応じ必要な手続は、厚生大臣が別に定める。」としており、同規則が社会福祉法人に対する補助、助成に関する手続的規定を定めることをその内容とするものであることは明らかである。地方公共団体が、社会福祉事業法五六条一項に基づき条例を制定する場合にも、その条例は、右規則と同じく、助成に関する手続上の定めを内容とするものになる。

本件補助金交付は、右のように助成に関する手続を定めた条例を欠く状態で行われたものであるが、右条例を欠く状態で行われた同条に基づく補助金の支出がただちに違法になると解するのは相当ではない。まず、本件補助金交付当時、右条例は存在しなかったが、前記のとおり、市社会福祉協議会に対する市からの補助金交付自体は同条に根拠を有するものであって、右条例は補助金交付についての根拠を定めるものではなく、手続を定めるものにすぎないし、また、市補助金は、市の所定の手続を経て、一般会計予算に組み込まれて昭和五一年三月の定例議会の議決により予算として成立していたものである。市から市社会福祉協議会に対する補助金交付の手続に関しては、当時、市には市補助金交付規則の定めがあり、甲第一五号証によれば、同規則は、補助金の交付の申請、市長による補助金交付の決定、補助金交付の条件、交付決定の通知、事情変更による決定の取消し、補助金交付の対象となる事業の遂行、状況報告、遂行等の命令、補助事業完了後の実績報告その他について詳細な規定を置いていることが認められるところ、本件補助金は、同規則の定める手続に従って市社会福祉協議会に対して交付されたものである(ちなみに、乙第一一三、一一四号証によれば、箕面市では昭和五八年に、社会福祉事業法五六条一項に基づく社会福祉法人に対する助成の手続に関し、「社会福祉法人に対する助成の手続に関する条例」及び条例施行規則が制定され施行されているところ、同条例は、「市長は、必要があると認めたときは、社会福祉事業法二二条に規定する社会福祉法人に対し、助成を行うことができる。」(二条)、「社会福祉法人は、前条の規定による助成を受けようとするときは、申請書に次の各号に掲げる書類を添えて、市長に提出しなければならない。一 理由書、二 助成を受ける事業の計画書及びこれに伴う収支予算書、三 その他市長が必要と認める書類」(三条)と定め、右以外で助成の手続に関し必要な事項を定めることを市長に委任していることが認められ、右条例制定後の助成に関する手続は、実質的には右条例制定前と変わりがない。)。また、地方公共団体が必要があると認めた場合に社会福祉事業法五六条一項の規定する条例を定めないで助成をしたとしても、右条例は、助成の手続を定めるものにすぎないから、同条二項以下の規定による地方公共団体の監督が助成を受けた社会福祉法人に及ばないとする根拠はなく、当然に及ぶものと解される。さらに、本件補助金は、形式的には市社会福祉協議会を経由して市遺族会に配分されたものであるが、実質的には市遺族会に直接交付されたものとも同視できないものでもないところ、市から市遺族会に補助金を直接交付するのは、地方自治法二三二条の二の規定に基づくことになるが、同条の定める公益上の必要性が存在したことは、後記六認定のとおりである。以上のような諸事実を考慮すると、本件補助金交付には、社会福祉事業法五六条一項所定の条例が存在しなかったからといって、補助金交付の効力を無効とするような重大な瑕疵があるものとはいえないのはもちろん、地方自治法二四二条の二第一項四号所定の住民訴訟において損害賠償の対象となるような違法な公金の支出とはいえないと解するのが相当である。

よって、控訴人らの右主張は採用できない。

2  憲法八九条後段違反の主張について

控訴人らは、仮に市遺族会が社会福祉団体であって、その事業が憲法八九条後段にいう「慈善、博愛の事業」に当たるとすれば、市社会福祉協議会を通じての本件補助金支出は間接補助であり、間接補助先の市遺族会に対して市が社会福祉事業法五六条二項以下の監督権限を行使することは不可能であるから、結局、右補助金支出は、公の支配に属しない団体への補助金支出であり、憲法八九条後段に違反する、さらに、市社会福祉協議会の事業をみると、同協議会が市から補助金の交付を受けてこれを配分した先の団体の中には、社会福祉事業(あるいは社会福祉事業に関する連絡の事業)を営んでいることが明らかなものを含んでおり、市社会福祉協議会が市からの補助金をこれらの団体に配分することは、全体として前記「慈善、博愛の事業」に当たるところ、前記条例の欠缺により、市が市社会福祉協議会に社会福祉事業法五六条二項以下に基づく公の支配を及ぼすことができない状態にあったから、市から市社会福祉協議会への補助金交付は憲法八九条後段に違反する旨主張するので、検討する。

本件補助金は、手続的には、まず市から市社会福祉協議会に交付され、さらに同協議会から市遺族会に配分されたものであるところ、乙第八七号証によれば、市社会福祉協議会の定款において、同協議会の目的を、「箕面市における社会福祉事業の能率的運営と組織的活動を促進し、地域社会福祉の増進を図ること」とし、その事業として「(1) 社会福祉を目的とする事業に関する調査及び研究、(2) 社会福祉を目的とする事業に関する総合的企画、(3) 社会福祉を目的とする事業に関する連絡調整及び助成、(4) 社会福祉を目的とする事業に関する普及、(5) 保健衛生を目的とする事業との連絡、(6) 生活に関する相談に応ずる事業、(7) 善意銀行に関する事業、(8) 社会福祉事業に関する募金運動への協力、(9) その他、本会の目的達成のための必要な事業」を列挙している(定款一条)ことが認められ、右事業の内容からすれば、同協議会の事業は、社会福祉事業法二条の定める「第二種社会福祉事業」に当たると解される。ところで、憲法八九条後段の定める「慈善、博愛の事業」とは、老幼・病弱・貧困などによる社会的困窮者に対し、慈愛の精神に基づいて援護を与え、あるいは、疾病・天災・戦禍・貧困などに苦しむ者に対し、人道的な立場から救済や援護を行うような事業をいうものと解されるところ、社会福祉事業を行うことは、本来、憲法二五条の生存権保障の原則に基づいて社会福祉の向上・増進に努めるべき国の責務であるとも考えられるから、右の意味での「慈善、博愛の事業」に当たるかどうかは問題である。しかし、この点をしばらくおき、市社会福祉協議会が目的として掲げ、あるいは現に行っている事業に「慈善、博愛」の性質を有する事業が存在するとしてみても、前記のとおり、市社会福祉協議会は、社会福祉事業法に基づいて設立された社会福祉法人であり、これが市から補助金の交付等の助成を受けるに当たっては、前示のとおり、同法五六条一項所定の条例の有無にかかわらず、同条二項以下の規定による市の監督が及ぶものと解されるから、憲法八九条後段にいう「公の支配」に服するものと解するのが相当である。したがって、本件補助金が市社会福祉協議会に交付されたことをもって、憲法八九条後段に違反するものとはいえない。

次に、本件補助金は、実質的側面を重視すれば、市から市遺族会に直接交付されたものと同視できないものではないことは前示のとおりであるから、この面からも検討を加えると、前記認定によれば、市遺族会の事業は、国に対し、遺族援護行政の拡大、増進を要求する活動、右遺族援護行政の補完的活動及び会員相互の互助的活動が主体であり、それらの諸活動を全体としてみた場合、戦没者遺族一般の福祉向上に寄与しているという面で公益性を有することは否定できないが(後記六参照)、右福祉増進の対象は、市遺族会の会員である遺族ら及びそれと同様な地位、立場にある遺族らであって(戦没者の追悼、慰霊行事も、それによって精神的充足を得られる者は、遺族以外にはないと解される。)、そのような同質的な集団を超えて、対外的に社会的弱者に対する援助活動を行っているとはいえないことが明らかであるから、市遺族会の活動は、憲法八九条後段にいう「慈善、博愛の事業」には当たらないものというべきである。したがって、本件補助金が実質的には市から市遺族会に直接交付されたものと同視できるという面をとらえても、それが憲法八九条後段に違反するものとはいえない。

よって、控訴人らの前記主張はいずれも採用できない。

六  本件各行為の地方自治法二三二条の二違反の主張について

右の点に関する当裁判所の判断は、次のとおり補正するほかは、原判決一九三枚目裏九行目から二一三枚目表二行目まで記載のとおりであるから、これを引用する。

1  一九四枚目表八行目の「違法である」の次に「、また、政府の遺族援護行政のうち経済面での遺族援護行政は、その歴史的経過や実態に照らして公益性がない」を加え、同枚目裏一二、一三行目の「三の2、3」を「四の1の(二)、(三)」に、一九五枚目表一〇行目の「三の2」を「四の1の(二)」に改め、同一一行目の「また」の次に「、甲第五九八号証」を加える。

2  一九五枚目裏五行目と六行目の間に次のように加える。

「① 連合国軍総司令部は、戦前の日本の軍人恩給制度が世襲軍人階級の永続を図る一手段であり、この世襲軍人制度が日本の侵略政策の大きな源になったものであり、軍国主義者が他の犠牲において極めて特権的な取扱いを受けるような制度は廃止されるべきであるとの見解の下に、昭和二〇年一一月覚書を発し、昭和二一年二月一日勅令「恩給法ノ特例ニ関スル件」が公布されて、軍人恩給の停止・制限の措置がとられることになった。しかし、軍人恩給が軍人等を他の者より優遇するものであったとしても、国が国家のために身を捧げた者に対して何らの措置を講じなくてもよいのかということは、当然に各方面で議論を呼び、昭和二四年の国会では「遺族援護に関する決議」が、昭和二五年の国会では「遺族戦傷病者及び留守家族対策に関する決議」がそれぞれされた。これに対して、政府は、国家財政の余力がなかったことのほか、当時の国際情勢の下で積極的に軍人遺家族援護の問題を取り上げる状況になかったことから、遺家族に対する特別の措置に言及することに消極的態度をとっていた。その後、昭和二六年に入り、講和条約の内容が論議されるに至り、改めて軍人遺家族の問題が政府部内で検討されるようになり、同年一〇月に「戦傷病者及び戦没者遺族等の処遇に関する打合会の設置に関する件」の閣議決定があり、討議が重ねられることになった。右打合会での討議において、遺族援護の具体策については、階級別による旧軍人恩給の復活で行うべきだとする恩給局の意見と、階級別を廃止して社会保障の見地から遺家族の実情に即して解決を図るべきだとする厚生省の意見が対立し、政治問題とも化したが、昭和二七年度の予算編成において、軍人恩給の復活が見送られ、戦傷病者、戦没者遺族に対し社会保障の色彩を加味した年金を支給する方針が決定された。その後も、遺族援護の具体的内容について議論が重ねられ、昭和二七年三月、戦傷病者戦没者遺族等援護法案が国会に提出されるに至った。」

3  一九五枚目裏六行目の「①」を「②」に改め、同行の「昭和二七年」の次に「四月二五日」を、同一〇行目の「戦没者」の次に「遺族」を加え、一九六枚目裏一行目の「②」を「③」に、一九七枚目表一〇行目の「③」を「④」に、二〇四枚目表三行目の「三の2の(一)の(3)」を「四の1の(二)で引用した原判決五九枚目表一一行目から六〇枚目表一二行目までの」に、二〇六枚目表八行目の「その」を「戦没者の」に改める。

4  二〇七枚目表二行目と三行目の間に次のように加える。

「控訴人らは、政府の遺族援護行政のうち、経済面での遺族援護行政は、その歴史的経過や実態に照らして、公益性を欠くとの趣旨の主張をする。

なるほど、敗戦後の日本に様々の変革をもたらした連合国軍総司令部の占領政策が、その後の国際情勢の変化によって転換していったことは歴史上顕著な事実であり、甲第三六〇、三六一号証によれば、吉田首相は、昭和二七年八月に行われた保安庁幹部に対する訓示の中で、「再軍備をしないというのは国力が許さないからで、一日も早く国民自ら国を守るようしたい。安全保障条約だけでは十分でない。再軍備をするとすれば物心両面からの準備が必要で、このためまず敗戦は軍人だけの責任ではなく、国民全体の責任であることを徹底させるとともに、軍人恩給などの復活を図らねばならない。」と述べたこと、昭和二八年一〇月に行われた池田・ロバートソン会談(池田勇人自由党政務調査会長とアメリカのロバートソン国務次官補との会談)後の共同声明では、日本側は、十分な防衛努力を完全に実現するうえで、法律的制約、政治的・社会的制約、経済的制約、実際的制約の四つの制約があることを強調し、そのうち経済的制約に関して、旧軍人や遺家族などの保護は防衛努力に先立って行われなければならぬ問題であり、これはまだ糸口についたばかりであるにもかかわらず、大きい費用を必要としていると述べるとともに、日本政府は、教育及び広報によって、日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任を持つと述べていることが認められる。そして、国際情勢及び日本国内の政治的な動向が遺族援護行政の内容にも影響を及ぼしたであろうことは、前記認定の2の(一)の(1)の①の事実からも推認することができる。しかし、そうだとしても、戦争の犠牲となった戦没者の遺族らを国が手厚く処遇し、経済的な援助をすることは、国の当然の責務であると考えられるから、遺族援護行政が憲法前文や第九条の空洞化につながるとか、「再軍備行政」にほかならないというようなことは到底いえない。

また、控訴人らは、遺族援護法において職業軍人の遺族まで国が手厚く処遇することは、国の当然の責務ではなく、日本遺族会の「遺族の処遇改善運動」も、旧軍隊時代の階級差を維持し、その階級差に基づき、大将と兵とでは極端な差別となるような恩給の復活実現に運動の主眼を置いていた旨主張するが、遺族援護法の内容をどのようなものとするかは、国の立法権の裁量に属する問題であるし、戦前は手厚く処遇されていた軍人階級の遺族を多く含む日本遺族会が戦前の軍人恩給の復活実現を企図していたからといって、ただちに同会の活動が公益性を欠くことにならない。」

5  二〇七枚目裏一行目の「三の9」を「四の6」に、同二行目の「市遺族会」から同五行目の「すぎず」までを「市遺族会の会員が戦没者遺族であることから、戦没者の慰霊、追悼、顕彰のための諸行事を行うことが会員の要望に沿うものとして行われているものにすぎず」に、同一二行目の「三の7の(三)の(1)」を「四の4の(六)」に、二〇八枚目表九行目の「三の2」を「四の1の(二)」に、二〇九枚目表一一、一二行目の「三の2の(三)」を四の1の(二)で引用した原判決六二枚目裏七行目から六八枚目裏四行目までの」に、改め、二一一枚目表一、二行目の「制度的・実質的」、同五、六行目の「制度的」及び同六行目の「、実質的国家神道も」を削り、同七行目の「今」から同九行目の「少なくとも、」までを削り、同一二行目及び同枚目裏七行目の「実質的」を削り、同一、二行目の「本件忠魂碑」から同二、三行目の「みざるを得ない」までを「本件忠魂碑も、少なくとも戦後においては、靖国神社の宗教施設であるとか国家神道の宗教思想と結びつくようなものであるとかはいえなくなっている」に改める。

6  二一二枚目裏四行目と五行目の間に、次のように加える。

「そのほか、控訴人らは、日本遺族会及び市遺族会の活動は、国民主権・基本的人権尊重主義・平和主義という憲法の根本規範に反する反憲法的性格を有する旨主張し、その理由をるる主張するが、右主張の事由(本件忠魂碑に合祀されている人達がなぜ死んだかということや、最近の自衛隊及びこれを取りまく現状等)は、これまで認定した日本遺族会や市遺族会の目的、性格、活動状況等に照らして、日本遺族会及び市遺族会が反憲法的性格を有するものかどうかの判断に直接かかわり合いのない事柄であるといわざるを得ないから、控訴人らの右主張は失当である。」

七  本件各行為のその他の違法事由の主張について

1  本件書記事務従事の地方公務員法三五条違反の主張について

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり補正するほかは、原判決二一三枚目表五行目から同枚目裏五行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

二一三枚目表一一行目の「違法な行為である」の次に、「、また、地方自治法二三二条の二は、公益上の必要がある場合に、地方公共団体が寄付又は補助をすることを許容しているだけであって、地方公務員をして他の団体の事務に従事させることまでは許容していない」を加え、同一二行目の「前記五」を「前記六」に改め、同末行の「地方自治法二三二条の二に基づく」の次に「補助に当たり、かつ、同条にいう」を加え、同枚目裏五行目末尾の次に「なお、控訴人らは、地方自治法二三二条の二の規定は、公益上の必要がある場合に、地方公共団体が寄付又は補助をすることを許容しているだけであって、地方公務員をして他の団体の事務に従事させることまで許容していない旨主張するが、前記のとおり、本件書記事務従事が同条の定める公益上の必要を有する補助に当たる以上、同法二条の規定に照らして、これが地方公共団体の事務に含まれることは当然である。」を加える。

2  本件補助金交付(支出)手続の市補助金規則違反について

控訴人らは、本件補助金交付(支出)手続が市補助金交付規則に違反するとして、その違反事由を種々主張する。

しかし、本件補助金は、手続的にはそれを含む市補助金が市から市社会福祉協議会に交付されたものであることは前示のとおりであるところ、市から市社会福祉協議会への市補助金交付の手続が市補助金交付規則に従って行われたことは既に前記三の1で認定したとおりである。仮に、右手続の一部に控訴人ら主張のような市補助金交付規則違反の部分があったとしても、軽微な手続上の瑕疵にすぎず、市補助金交付ないし本件補助金交付の効力に影響を与えたり、違法とするようなものではないと解される。また、本件補助金が、実質的には市から市遺族会に直接交付されたものと同視できないものでもないことは前示のとおりであるが、これは、本件補助金交付の実質的側面に着目した場合に、そのように同視できないものではないということにとどまるのであって、現実の補助金交付・配分の手続がそのように行われたというわけではないから、市から市遺族会への本件補助金交付の手続が市補助金交付規則に則って行われたか否かを判断する必要はないものというべきである。

したがって、控訴人らの右主張も採用できない。

3  本件補助金使用の違法について

右の点についての当裁判所の判断は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の二一四枚目裏九行目から二一六枚目表六行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

(一)  二一五枚目表五行目の「前記五」を「前記六」に、同七行目の「同五の5の(一)」を「同六で引用した原判決二〇七枚目表六行目から同枚目裏七行目までの」に改める。

(二)  二一六枚目表六行目末尾の次に、改行のうえ次のように加える。

「控訴人らは、本件補助金交付に当たり、被控訴人は、本件補助金が公益外の活動に使用されるおそれがあるかどうかを検討すべきであったのに、これを怠ったか、誤った認定をした旨主張するが、前記のとおり、本件補助金の一部が結果として市遺族会の宗教的な活動に使用されたとしても、本件補助金が、全体としては補助の趣旨に反した用途に使用されたとはいえないものであるから、控訴人らの右主張は、前提を欠き、失当である。」

八  結論

以上によれば、控訴人村上淑子、同中川健二の訴えは不適法であるから却下すべきであり、その余の控訴人らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、棄却すべきである。よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条、九三条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中川敏男 裁判官北谷健一 裁判官小松一雄は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官中川敏男)

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